Up 要 旨 作成: 2008-11-23
更新: 2008-11-23


    国立大学の「法人化」は,米国の大学のやり方を全面的に取り入れるという形で進められた。 気分は「文明開化」である。(従来型が,恥じられ・捨てられるべきものになる。)

      教育再生会議では,大学の新年度開始の月を米国と同じ9月にすべしの案も出てきた。

    「文明開化」に高揚する者は,移入しようとしている制度の根ざしているところを見ない。
    異国の制度の拠って立つ思想・文化・社会・経済は,自国のものとは異なる。 しかし,このことを考えない。──「考えねばならない」ということが,そもそもわからない。

    よその土地に生える植物を自分の土地に植えても,育たない。 あるいは,それが育つときには,自分の土地がおかしくなる。
    よその土地に生きる動物を自分の土地に放っても,育たない。 あるいは,それが育つときには,自分の土地がおかしくなる。
    植物・動物は,それが生きている土地と一体のものである。 これを学習するのが,生態学である。

    「文明開化」に高揚してしまうのは,生態学を知らないからである。
    「文明開化」気分が「グローバリズム」気分であることに,注目しよう。
    「グローバリズム」は,生態学を知らない者の言うことばである。


    国立大学の「文明開化」の内容の中に,GPA・CAP がある。
    GPA・CAP は,<良いもの>なので取り入れられたのではない。<米国のもの>なので取り入れられた。
    これをダイレクトに取り入れることで,勉学/教育におかしくなるところがでてくる。 そしてこの中で,勉学/教育に対するモンスター・ロジックが醸成されてくる。