Up 自学自習させる方法は,履修制限 作成: 2008-11-25
更新: 2008-11-25


    GPA・CAP を導入した大学側は,これの合理性を説く者になる。
    しかし,GPA・CAP は<人に対する操作主義>を立場にするものであるから,大学教育が<人に対する操作主義>の場でないときには,GPA・CAP の合理化はモンスター・ロジックになる。

    このモンスター・ロジックの一つが,「学生の自学自習」に関するものである。 ──実際,つぎが CAP のロジックである:
      学生に自学自習させる方法は,履修登録できる科目数を制限すること。

    このロジックを信じる者は,学生にも教員にも,まずいない。
    そして,このロジックを信じないことは,正しい見識である。


    大学は,学生の主体的学習を旨とする。
    授業を提供するが,学生がこれをどう用いるかは,学生自身の問題とする。
    大学は学生に学習指導をするが,これの意味は,「大学での学習の勝手を知らない者に,それをガイダンスする」ということであって,「こうせよ」を示すことではない。

    大学の勉学は,もともと,単位取得を目的にするものではない。
    大学の勉学は自学自習が主であり,授業は自学自習の環境の一部というものである。
    授業者の許可を得たら領域/学部/学校横断的に自由に聴講できるというのが,大学の授業の本来の形である。

    大学がこのようであった時代を,いまの学生や若い教員は知らない。 したがって,彼らには,「学生に自学自習させる方法は,履修登録できる科目数を制限すること」がモンスター・ロジックには見えないかも知れない。
    大学とは本来どのようなものであるかを論じ続けねばならない所以である。