Up スタディ「連座」 作成: 2013-12-15
更新: 2013-12-15


  1. ある運動部の部長が,遠征の届けを怠った。
    そのまま遠征がなされた。
      部員は,遠征の届けがなされてないことを知らない。 遠征を,何の問題もないものとしておこなっている。

  2. 届けをしていないことが,大学の知るところとなった。
    学生委員会が,「指導」を決めた。
      大学は,学生の義務不履行には,「指導」で応じる。

  3. 学生委員会は,「この件は,部員すべての指導にまで及ぼすべきものである」いう考えをもった。
    「指導」において,当該学生に,部員全員の連名が入った反省文の提出を指示した。
      学生委員会は,「連座」のシナリオを描いた。
      実際には,「指導」の対象になるのは,遠征の届けを怠った部長ひとりである。 部員は,遠征を何の問題もないものとしておこなったのであり,咎められることは何もない。
      学生委員会が「連座」のシナリオを描いたのは,このときの学生委員会の<資質>というものである。

  4. 併せて,「学生委員会は,処分を考えていない」を言い,そしてこれに「教授会で,休部処分の意見が出た」の嘘を添えた。
    当該学生は,「指導」に従わないと,休部にされるかも知れないと怯えた。
      これは「脅迫」である。
      実際,このことばは「脅迫」の効果を現した。
      即ち,「言いつけに従えば,学生委員会は教員からの休部処分の声を抑え,処分を免除してくれる」の思いを学生にもたせるという効果である。

  5. 当該学生は,部員に対し,「休部にされるかも知れないから,言いつけられた通りにやってもらえないか」と話した。
    部員も休部のことばに怯えて,それなら言いつけられた通りにやろうかの方向に向いていった。
      いまの大学生は,「部の一員が不祥事を起こすことは,部員すべての責任問題になる」と言われると,素直に「そうなんだ」と思ってしまう者たちである。
      学生は,処分が法(罰則) に照らして行われるロジカルなプロセスであること,特に,恣意的にできるものでないこと,翻って,自分たちは法で守られていること,を知らないのである。


    ついでに,「休部処分を主張する教員」についても,触れておく。
    教員もいろいろであるから,こういうことで「休部処分」を言い出す者は,実際あり得るのである。

    この教員は,学生と同じレベルで「処分」「法」「人権」がわかっていないのであるが,さらに,ダブル・スタンダードを用いる者である。
    即ち,他の教員の不祥事に連座することは断固拒否する一方で,学生のことだと,学生の属する組織の連座を当然のように言い出す。
    「当然のように」となるのは,この連座のロジックを自分が立てていないということに意識の向くことがないからである。 即ち,ロジックに思考停止する質の者だからである。
    この資質は「個の多様性」の一つとして受容すべきものあるが,一方,この資質が「指導」を担当することになったときは,「指導」がグロテスクな展開になることを覚悟しなければならない。