Up 「文学」 作成: 2014-12-22
更新: 2014-12-22


    倫理を説く者の倫理には,人間が存在していない。
    倫理を説く者がいう「人間」は,人間ではない。

    現前の人間が,人間である。
    倫理を説く者の「人間」は,概念である。

    倫理の「人間」は,どのように人間になっていないのか?
    「人さまざま」が捨象される。
    「ケース・バイ・ケース」が捨象される。


    人間は細胞の系である。
    <生きる>は,この系のダイナミクスである。
    ダイナミクスのもとは,DNA構造とコード翻訳表である。 そしてこれが,生き物すべてに共通である。──人間も原生生物も同じである。
    人間の存在の根本は,<生き物>である。

    <生き物>は,多様性を現す。
    多様性発現のダイナミクスは,共時的と通時的の両面で考えることができる。
    共時的ダイナミクスは,生殖が多様性の重畳になることである。
    通時的ダイナミクスは,系統の内包である。 ──<生き物>は,系統を内包する。
    そして,「系統を内包」は,「多様性を内包」である。

    人の現前は,<生き物>の発現であり,したがって多様性の発現である。
    こうして,人の現前は,確率事象である。
    これが,「人さまざま」「ケース・バイ・ケース」の意味である。


    「確率的」は,存在の前提である。
    「確率的」は,認め,折り合うのみである。
    「解決」みたいなことを考えるものではない。

    この立場に立つのが,文学である。
    「確率的」を理に乗せようとするのが,文学である。
    「確率的」を理に乗せようとすると,文学のようになる。

    これに対し倫理の方は,「解決」の考え方をする。
    「解決」の発想は,「一律」「管理」である。
    「人さまざま」「ケース・バイ・ケース」を無くす,である。

    これは,存在の前提の否定であるから,自家撞着になる。
    実際,倫理を説く者は,自家撞着の論をつくる。
    しかし,自分では自家撞着と思っていない。