Up 「やりたい放題」 作成: 2014-12-21
更新: 2014-12-21


    倫理を説く者は,一旦「自由」を,倫理がない状態として立てる。
    そして,この「自由」では人が生きていけないことを説く。
    そこで,倫理が必要だと説く。

    このときの「自由」は,「やりたい放題」である。
    倫理を説く者は,「強姦・殺人やりたい放題」に導く。
    そして,「どうだ,倫理が必要だろう」をもってくる。


    倫理を説く者は,<権威>を立て,その<権威>のことばを用いる。
    定番は,ホッブズ (「「万人は万人に対して狼」) である。
    そして,これにルソー (「自然に帰れ」) を対置させてみることも,忘れない。

    ホッブズへのルソーの対置は,倫理を説く者の「公平」のポーズである。
    しかし,「公平」にはなっていない。
    実際,ここで立てている対立は,目くそ鼻くその対立である。

    目くそ鼻くそは, 「系」がわからない。

    目くそ鼻くそは, 「倫理が無かったら」を, 「人の現前 -引く- 倫理」の引き算で考える。
    これは,「人間に目が無かったら」を,人から目玉を抜く引き算で考えるのと同じである。
    「目」は,人間の発生・形態形成の系に組み込まれている。
    目が無いことにするとき,人間そのものが無くなる。
    同様に,倫理が無いことにするとき,人の現前そのものが無くなる。

      あるいは,つぎの引き算を考えてみよ:
        台風に目が無かったら


    「引き算」をおかしいと思わずに済んでいるのは,「系」の考えがないからである。
    「系」がわからない──これがこのときの「目くそ鼻くそ」の所以である。

    倫理を説く者は,この「目くそ鼻くそ」を<権威>に立て,<権威>のことばを用いて聴く者を制圧しようとする者である。

    聴かされる者は,この手法を「ウザイ」とする。
    聴かされる者は,<この手法をよしとする者>が<倫理を説いてわたしを制圧しようとする者>であることを,「ウザイ」とする。