Up 仕事と「業績」の関係 作成: 2007-11-30
更新: 2007-11-30


    社会を構成している仕事の大部分は,「業績」という形で総括・評価されるものではない。
    実際,「業績」という方法は,つぎの二つを基本要素にしている:
      1. 数値化 (質も含めて,数値で表す)
      2. 統一フォームで記述
    翻って,この方法の適用が (「意味あり・なし」も含めて) 困難/不可能な仕事は,「業績」の方法にはのらない。

    大学教員の教育・研究は,この「業績」の方法が適用されやすいもののように思われているかも知れない。 しかし,これは事実ではない。
    実際,「業績」づくりのしくみを学会等で整えているから,「業績」が成り立っている。 分野によっては,「業績」の形づくりにかなり無理をしなければならない。


    「業績」を適用しやすい分野は,「できなかったことを成功させた!」という形で成果を出せる分野である。
    要点は,「できなかったことを成功させた!」が概念として立つかどうかと,これについての異論の余地である。この意味で,「数学」はもっとも「業績」を適用しやすい分野である。 自然系,工学系も適用しやすい。
    人文系では,困難になってくる。 実際,「派閥が違えば無価値」が普通にある。

    教育系もだめである。 特に教科教育の場合は,「業績」はどうしても「無理矢理つくるもの」になってしまう。 そして,無理矢理つくったものは明らかに教科教育の研究 (教科教育に対し含蓄をもつもの) でなくなる。


    「教員養成」について,仕事と「業績」の関係を考えてみよう。

    教員養成は,能力が要る。 その能力は,大学教員の能力になる。 よって,教員養成は大学の仕事になっている。

    一方,その能力は,「業績」に表現される能力ではない。
    すなわち,教員養成の能力の表現は教育論・教育方法論・教科主題論・教材論といったものになるが,これらは「業績」にはならない。

    実際,教育論・教育方法論は古今東西いたるところにある。 教育論・教育方法論は,経験である。すぐれた教育論・教育方法論は,ごまんとある (ただ人に知られていないだけ)。
    教科主題論・教材論も,
      「指導内容を,正しく理解し,あたりまえに教える」
      「この<正しく理解し,あたりまえに教える>が難しい」
    の論であり,これまた「業績」になるものではない。


    しかも,論理体系的学問の教科だったら,教育論・教育方法論・教科主題論・教材論はそもそも進化するようなものではない。
    学校教育は時代とともに動いているが,それは,世代的忘却と世代交代によって,振り子のように揺れているだけだ。 無理に「業績」をつくる効用は,無駄な振り子運動に加担するかも知れないということ。

     重要 : 振り子現象には「愚かさ」を見てしまうが,「進化しない」についてはこれを肝心なこととしなければならない。


    「法人化」で国立大学が業績主義に流されてしまうのは,仕事と「業績」の関係が思考されていない・理解されていないからである。 実際,仕事と「業績」の関係についての思考を閑却している。
    流されているのは,組織以前に,教員個人である。