Up 「裸の王様」の力学 作成: 2008-11-13
更新: 2008-11-13


    北海道教育大学では,現在,『北海道教育大学教員の総合的業績評価についての指針』(以下,『指針』) がつくられようとしており,「パブリックコメント募集」の最中である。 いまは「案」の段階なのでこれの引用は控えるが,国立大学の「法人化」をこれまで過ごしてきた者にはおなじみの文言と項目が,並んでいる。標題にある「総合的業績評価」の意味は,教員に5段階評価を与えるということ。

    10年前の国立大学なら,「5段階評価」はジョークとしてあしらわれるものである。
    いまは,ジョークとしてあしらわれない。
    何が変わったのか?
    簡単に言うと,教員のインテリジェンスが変わったということである。

    10年前なら,あまりジョークがひどくてしつこいと,教員は自分の学者としての専門性を発揮し,ナンセンスを理論的に批判したわけである。
    いまは,学者の<生硬>というものは,はやらない。
    何度も繰り返されると,ジョークも慣れるのである。

    ただし,「昔のジョークが今は真面目」というわけではない。
    『指針』の感想を尋ねられたら,ほぼ100%の教員が「くだらない」と言うだろう。
    しかし,100%の教員が「くだらない」と思うようなものが,現実に独り歩きしている。
    この現象は,組織・社会・制度の力学を研究する立場からは,ひじょうにおもしろい研究素材になる。


    制度の独り歩きの構造は,「裸の王様」のそれである。
    「裸の王様」では,国民が個々に「 だれか "王様は裸だ!" って言ってくれないかなあ」と期待する心理状態にある。 この構造では「だれか」は登場しないので,「裸の王様」が続くことになる。

    「裸の王様」の話は,当然だが,「王様」は他のものには替えられない。
    たとえば,「裸の乞食」なら,すぐに "裸だ!" を言われてしまう。

    「何度も繰り返されると,ジョークも慣れるのである。」
    何に慣れたのか?
    「王様」というジョークに慣れたのである。
    裸に見えても,「王様」が相手なら,"裸だ!" を言うことは憚られるのである。
    そのような心理状態が,この10年くらいの間に,醸成されたことになる。

    「裸の王様」の話は,たいへんよくできている。
    王様自身,騙されている被害者というところも,含蓄が深い。
    ただし,子どもに "王様は裸だ!" と言わせ,笑い話にして終わらせているところは,この話の教訓が読み損ねられてしまうもとになっている。 "王様は裸だ!" を言わなかった報いが国民にじわじわ降りてくる,というところまで進んでくれないと‥‥,と思うのは,説明主義者の野暮か。