Up 「経済林」 作成: 2008-12-12
更新: 2008-12-12


    「知識人」とは,自分を賢い者と考える者のことである。
    自分を賢い者と考える者は,現前の問題──これは複雑系の問題──に対し,単純な割り切りをする。
    この単純な割り切りで問題解決に進んで,大事を壊してしまう。

    これの例は,ここしばらくの「改革」バブルの時代には,日常的に目にすることができる。 しかし,時間が経ったものを例にする方がわかりやすいので,ここでは「経済林」を取り上げてみる。


    戦後の経済復興期には,針葉樹がよい木であり,山の木を針葉樹に替えることがよいことであるとされた。 学校の社会科でもそのように教えられた。
    いまは,山の木は,大きな生態系の中に位置づけられるものになった。 この複雑系を見る学問が「エコロジー」の名で立てられるようになる。

    山の木を針葉樹に替えるという考えのスタンスは,「改革」である。
    「改革」者は,山の木が連なる生態系を見ない。

    みんながこの生態系を知らないというのであれば,それは「時代の無知」ということになる。 しかし,現場では,生態系の知が伝統的に受け継がれていた。
    生態系の知は存在していたのである。

    「知識人」はこの伝統を「従来型」にする。
    「知識人」から「従来型」とされたものを保持することは,無知蒙昧な者のすることである。 ひとは伝統を捨てる。


    この図式をしっかり銘記しよう。
    これはそっくり,「法人化」の国立大学が制度化する「業績評価」の図式になる:

      「改革」教員がよい教員であり,
       大学教員を「改革」教員に替えることがよいことである。


    「経済林」の話の落ちはどうなったか?
    針葉樹に替えた山は崩れる。環境をダメにする。

    同じように,「改革」教員に替えた大学は崩れる。社会・文化をダメにする。
    ──このことを,本論考を以て論じようとする。