Up 「知不知」 作成: 2008-12-15
更新: 2008-12-15


    ひとは,いまの状況,いまの自分のスタンス・考えを,特別なもの・絶対的なものと考える傾向がある。
    「決定的瞬間」「機会損失」の発想をして,「走りながら考える」「走ってから考える」のことばに乗ってしまう。
    そして,おかしなことをやり,大事を壊す。

    歴史・古典にあたることの意義の一つは,いま・自分の相対化である。
    歴史・古典は,「本質は,昔から何も変わっていない」を示してくれる。
    「改革」バブルの時代には,歴史・古典をやるのがよい。
    バブルの時代にこそ,「走りながら考える」「走ってから考える」の正反対をやることが正解となる。


    先に『老子』に言及した。( 法則 :「知識人」は大事を壊す)
    『老子』は,複雑系を単純に割り切ってわかったつもりになり,おかしなことをやって大事を壊してしまう「知識人」を批判する書である。
    (『老子』の書を何か神秘的なことを論じているように読むのは,間違い。)

    実際,「知識人」批判の方法は,結局『老子』の方法になる。
    すなわち,「知識人」批判は,つぎのスキームで行うものになる:

    1. 「知識人」がわかったつもりで操作しようとするその対象は,複雑系である。
    2. 複雑系に対し単純な割り切りを行う「知識人」の作為は,大事を壊す結果になる。
    3. 複雑系に対する知は,「知不知 (不知を知る)」である。
    4. 「知識人」の知に対する批判の形は,彼らの知を「正しくない知」と定めるような「正しい知」の対置ではなく (実際,「正しい知」は不可能),「知不知」の対置である。

    「知識人」批判の論をつくろうとすれば,方法において 2500年むかしの『老子』と同じになる。 人間は本質的なところでは何も変わっていない──特に,同じ愚を繰り返す──というわけである。