Up <政権に不都合>な言論が,検閲対象 作成: 2008-05-24
更新: 2008-05-24


    検閲 (削除) の対象になる言論は,<政権に不都合>な言論である。
    悠久の視点から政権を批判するような言論,たとえば「政治は失敗の繰り返しである」みたいのは,検閲の対象にはならない。
    また,過ぎたことを蒸し返す形の政権批判も,検閲の対象にはならない。時効ということである。

    <政権に不都合>な言論とは,昨日・今日の暴かれてはまずいことを突く言論である。

    この押さえは重要である。
    政権は,目先のことに自分の死活を見る。
    そして,この目先のことのしのぎを,最も優先する。──ロングスパンで考えることになる国の死活の問題は,はるか後方に引っ込められる。

    実際,このことは,人情としてよくわかる。
    自分と世界を秤にかければ,自分の方が重いのである。


    世の中は,「自分と世界を秤にかければ,自分の方が重い」ところの個が生き合っている。 政権に就くのも,この「自分と世界を秤にかければ,自分の方が重い」ところの者である。
    そこで,政治理論として,「政権は絶えず批判に曝されねばならない」ができてくる。 ──すなわち,デモクラシーである。

    デモクラシーは,「自分と世界を秤にかければ,自分の方が重い」をやってしまう政権に対し,彼らの「昨日・今日の暴かれてはまずいこと」を突く言論をつくる。
    政権も,自分の「昨日・今日の暴かれてはまずいこと」を他から突かれることで,これから解放される。 実際,このように他から突かれることが無ければ,自ら泥沼を深くし奈落に落ちていく。

     註 : この理屈は,「法人化」の国立大学の執行部には,理解が難しいかも知れない。 しかし,しっかり学習して欲しい。