Up 互いに矛盾する2つの事実 作成: 2008-05-22
更新: 2008-05-22


    「言論統制」は,普通,否定的に主題化される。
    そしてこの場合,通俗な論は「悪者論」をやる。

    一般に,<善玉─悪玉>が使われる意味は何か?
    思考停止するということである。
    問題が複雑で,そしてこれにあまり突っ込み出すと自分も分が悪くなりそうというとき,ひとは<善玉─悪玉>を使って思考停止する:
      悪者が問題を起こしており,
       善玉の自分が被害を受けている。

    「悪者論」を少しぬるくすると,「資質論」になる:
      こういう資質の者が問題を起こしており,
       それとは資質を異にする自分が被害を受けている。

    「悪者論」に対する「資質論」の要点は,資質を相対化し,個々の資質の価値判断をしないということ。 しかしこれも,思考停止であることに変わりはなく,これを専らにするのは通俗論になる。


    以上のことに留意しつつ,つぎの問題を立ててみる:
      「言論統制に与しやすい」という個性はあるのか?
    すなわち,「個の多様性」において,「言論統制に与しやすい・与しにくい」は「多様性」の項目になるか?ということ。

    これに対する答えは,イエスでありかつノーである:
      イエス :「言論統制に与しない」は,勉強の所産
      ノー  :「言論統制に与する・しない」は,確率事象