Up 原点が忘却される 作成: 2007-09-27
更新: 2007-09-27


    制度 (システム/規則の運用) は,次第に硬直化する。
    人はその硬直化に合わせることが強いられる。
    こうして,制度は人に敵対するものになる。


    硬直化は,システム/規則を起ち上げた者・それの起ち上げに立ち会った者 (以下,創業者) とは別の者が,システム/規則運用の担当者 (以下,運用担当者) に就くことから始まる。

    創業者は,システム/規則の what, why を持っている:

    • 起ち上げた理由
    • 抱えている問題点 (保留にしている問題点)
    • 「分限」の考え方
    • 運用の立場

    これらは,運用担当者には引き継がれない。
    たとえ引き継ぎがあっても,担当交替を重ねるごとに忘却が進む。
    システム/規則は,運用担当者にとって絶対<所与>となり,what, why を欠いた how で運用されるものになる。

    what, why を欠くので,状況に融通を利かせることができない。
    紋切り型の how で運用される。
    これが,システム/規則の硬直化である。


    システム/規則を硬直化させない方法は,担当交替による忘却の進行が問題として残るにせよ,what, why の受け伝えが唯一のものである。

    しかし,一般に,ひとは what, why の受け伝えということに,存外無関心である。 システム/規則の起ち上げでも,what, why の伝達が閑却される。

    ひどいのになると,反対を嫌がって,what, why の本当のところを隠して/ごまかしてシステム/規則の起ち上げを行う。
    国立大学における「法人化」の制度整備では,このようなことがしばしば目にされる。


    「what, why の明示」とは,どのようなものか?
    日本国憲法には「前文」がある。そこには,憲法確定の理由が簡潔に書かれている。 これは「what, why の明示」の一つであるが,ここで謂う「what, why の明示」は研究論文並みに緻密な内容のものを指す。

    「法人化」の国立大学の各種規程には,この意味での「what, why の明示」がない。 「理由など知る必要はない。ただ,これに従えばよい。」然としている。 これらの規程の運用が硬直化することは,目に見えている。

    システム/規則の運用の硬直化とは,つぎの本末転倒のことである:

      教育を,システムの操作・処理/規則の適用ができる形へと整形する。
      こうして,融通無碍が本位の教育が,定型化・斉一化を強いられる。

    繰り返すが,こうなってしまうのは,システム/規則の what, why:

    • 起ち上げた理由
    • 抱えている問題点 (保留にしている問題点)
    • 「分限」の考え方
    • 運用の立場

    の受け伝えがないからだ。 運用担当者は,システム/規則を絶対<所与>として,how 一本で運用することになってしまう。