Up 各種委員会:強制執行の装置 (「権力の手先」論) 作成: 2007-08-31
更新: 2007-09-01


    「トップダウンの実現」の含意の一つに,つぎのものがある:

      「これまでの各種委員会が,トップダウンの強制執行装置に変わる」


    委員会は,<トップダウンの強制執行を行う者>として,個の前に立ち現れる。

      決まったことであるから,全員が従うように。

    トップダウンでは,個が疑義のある指示を受けることが多くなるが,疑義は委員会には通じない。 なぜか?
    「トップダウンの強制執行装置」には「没主体」が含意される。 委員会のメンバーは,没主体を振る舞う。

      決まったことを全員に行わせるのが,われわれの役目である。


    主体無き命令機関が相手なので,個が疑義を扱うことはとてつもなく困難になる。
    実際,主体無き命令機関を相手にする議論は,結局徒労に終わる。 すなわち,相手が「決まったことを全員に行わせるのが,われわれの役目である」に結局帰って,オシマイ。
    結果,個はめんどうになって/諦めて指示に従う。

    また一方,個は,「決まったことである」の報告を承る会議に出席していることで,共犯関係にされている。──「自分は共犯関係にある」と自ら思う心理状態になっている。( 各種会議:共犯関係をつくる装置)
    また,委員会が「あなたは前に認めているんですよ。いまさら従わないなんてこと,言えないでしょ。」と返してくることも知っている。
    そこで,この理由からも,個は諦めて指示に従う。


    委員会のこのような機能を指して,「権力の手先」という。
    「権力の手先」とは,トップダウン体制における強制執行装置の機能を指すことばである。 「悪者が悪いことをする」のような意味とは無縁である。
    実際,「権力の手先」の要点は,没主体で振る舞うというところにある。
    「権力の手先」が怖いのは,悪者だからではなく,人の顔をしたロボットだからである。 ──ロボットは命じられたらなんでもする。


    「権力の手先」を発達させてしまったトップには,疑義が伝わらない。
    大衆はみな納得して指示に従った」と錯覚する。
    自分の施策は正しいものであった」と錯覚する。

    こうして,トップダウンのシステムは,修正の存在しないシステムになる。
    修正の存在しないシステムは,おかしな方向に進んでいく。
    自分が壊れて停まるときだけが,このシステムが停まるとき。


    ちなみに,こうならないための「デモクラシー」なのであるが,国立大学の法人化では「デモクラシー」がいとも簡単に捨てられた。
    これを捨てさせている考え方に,つぎの二種類がある:

    1. スピード経営の実現 (国立大学経営を民間企業経営に見立てる)。
    2. 国家権力から組織を守るためには,戦略的に全員一丸にならねばならない」(反権力→全体主義)。

    A が行政から降りてくる。B が国立大学の中から立ち上がる。そしてトップダウンで一致する。
    <行政>と<反権力>は,一見相反するベクトルに見えるが,しばしばぴったり合わさることがある。 「戦略的」が「何でもあり」になってしまうからだ。
    国立大学法人は,これの一つの例である。