Up はじめに 作成: 2014-04-21
更新: 2014-04-22


    国立大学法人は,「ミッションの再定義」を課せられている。
    「ミッションの再定義」は,リストラである。
    そしてリストラは,不採算部門の廃止である。

    教員養成系大学の「不採算部門の廃止」は,構造的に,学術プロパーの教員の削減が中心になる。
    そして「教員養成に与っていない部門の廃止」が,このとき立てられる理由である。


    教員養成大学は,教員免許科目を揃えねばならない。
    これは,「教科に関する科目」担当部門の自前抱えを含蓄する。
    そして「教科に関する科目」担当部門の自前抱えは,学術プロパーの教員を多く抱えることである。

    この部門は,「教員養成に与っていない部門」としてなにかと批判されてきた。
    例えば,数学だと専門数学担当部門だが,これは「理学部の数学と同じようなことをやっていて,教員養成に与っていない」と批判されてきた。
    そしていま,教員養成大学の「改革」が政策になる時勢の中,批判がますますあからさまになってきている。
    教員養成系大学のリストラは,「教科に関する科目」担当部門のリストラを主調にしていく。


    以上が,「理数分野」のコンテクストである。
    「理数分野」は,市町村合併・部署統廃合と同じである。
    「理数分野」は,部門としての数学と理科を無くすことが主眼である。
    実際,「理数分野」は,数学と理科がそれぞれ部門として成り立たない規模に縮小することが,定められているわけである。

    しかし,大学教員には,この認識がない。
    教授会とその下の将来計画委員会は,状況を見ない・見ようとしない体(てい) の最たるところで,ミス・リーディングばかりやっている。
    状況を見ないことが状況に流されないことではない。
    状況に流されないためには,状況を見てとらねばならない。
    しかし,教授会・将来計画委員会は,状況を見ないことで状況に流されるところとなっている。

    この教員は「理数分野」を何だと考えているのか?
    従来の数学分野・理科分野をそのままにして括った,上位カテゴリーだと思っている。
    理数分野には数学分野と理科分野があって‥‥」の認識でいる。
    「理数分野」が「理数合併・部署統廃合」であり,数学分野・理科分野がこれによって無くなったということが,わかっていない。


    状況に流されないためには,状況を見てとらねばならない。
    状況を見ないことが,状況に流されることである。

    状況をきちんと見て取れば,「ミッションの再定義」はそんなに威勢よく掲げられるものでないことがわかる。
    一般に,「リストラ」は,それを唱えているときは威勢がよいが,進める段になると,矛盾構造が見えてきて,意気が急速に萎える。
    「教科に関する科目」担当部門のリストラも,この類になる。

    実際,「教科に関する科目」は,法で定められているものである (『教育職員免許法』)。
    よって,「教科に関する科目」担当部門のリストラは,進めるとすればつぎの方法になる:
      1. 教員養成系大学が,「教科に関する科目」担当部門の自前抱えをやめる。
      2. 「教科に関する科目」の規制緩和──法改正

    「自前抱えをやめる」は,「非常勤講師」がこれまでの方法であった。
    この度は,「複数大学間での科目の使い回し」がこれの内容になる。
    いま「連携」が唱われているが,「連携」の中身はこれである。
    しかし,「教科に関する科目」の使い回しは,はっきり,無理である。
    無理であることは,シミュレーションしてみればわかることである。

    「規制緩和」(法改正) の方はどうか?
    これも,やれることではない。
    科目は,一つひとつ取り上げれば,有っても無くても同じようなものである。
    だからといって無くせば,「学業」の形がなくなる。
    科目がだらしなく抜けた形は,けじめを失わせる。
    科目のこの存在様式は,『荘子』の謂う「無用の用」である。


    しかし,だれも「理数分野」の意味を示せそうにない。
    「ミッションの再定義」の無理構造を示せそうにない。
    ということで,本論考がこれを示すことにする。