Up | 教員と事務方の間の問題意識の乖離 | 作成: 2007-05-17 更新: 2007-05-17 |
これの現時点での最新号である「No.495, 2007年4月号」(ウェブページ版は,http://www.hokkyodai.ac.jp/gakuhou/200704_495/24.html) に,たいへん興味深い論文 (退職のことばとして) が載っている。 それを先ず,ここに引用する (全文はウェブページにあたられたい): |
釧路校教授
もし過去を選ぶことができたなら ―退職に当たって― もし過去を選ぶことができたなら―もしそうなら,北海道教育大学の〈今に近い過去〉をではなく〈もっと遠い昔〉を、私は選ぶ。もちろん,昔が良かったはずはないし,今はさまざまな目をみはるような改革がどんどん具体化している。しかし,どうしようもなくダメだった昔のほうが良かったことが一つだけある。つまり,昔にあって今ないもの―それは民主主義であり,民主主義こそ大学の生命であり改革の意欲とエネルギーの源泉であるからだ。これをないがしろにしておいて何の改革ぞ,と思う。教職員の信任を得ることなく選任された所謂「任命学長」はその一つの現れであり,それがまた、大学運営に深刻な影響を与えていることを近年の諸々の動向から私は痛感させられている。 その結果,大学内では言葉がスムーズに通じなくなってきたように見える。私は,所謂「変形独法化文法」,「変形独法化言語」の横行が言葉を乱し,大学内の言葉の不通を招いている元凶であると観察している。言語の不通は,そのまま心の不通を意味する。言葉の混乱と不通によって崩壊した〈バベルの塔〉の轍を北海道教育大学が踏まないためには,民主主義を復権することによって互いの心を通わせ,共通の言葉を取り戻すことだと考えているが,どうだろうか。そのことによって「北海道教育大学憲章」の謳う高邁な理想の具現化が初めて実を結ぶのではないだろうか。 (以下略) |
総務部長
退職に当たって思うこと (前半部略) 最後に一言,8月26日に現学長が任期を終え退任となる。この学報が発行される頃には,本学学長選考会議から『望ましい学長像』が提示され学長選考に入ると思うが,大学及び高専の統合等大学を取り巻く状況は厳しく,運営にも益々の改革等が求められ「甘い話」や「良い話」はなく,自分たちで切り開いていかなければならない時代である。教職員は「過去のしがらみ」や「変な動き」に巻き込まれることなく大学本来の任務である教育・研究に専念し、特に事務職員は,文部行政の一端を担う職員としての自覚を持って行動し,学長選考会議から提示された『望ましい学長像』に相応しく,今後の厳しい大学運営を任せられる方を候補者として推薦・支持し,選出された新学長の下で北海道の教員養成の拠点大学として益々発展することを祈念するところであります。 |
そして,対照的な内容ではあるが,ともに大学の将来を深く心配している。──実際,この心配を退職のことばとして遺しているわけだ。 ここに現れているのは,「教員と事務方の間の問題意識の乖離」である。 大学の将来に対する深い心配は同じであるが,問題の捉え方・進路の考え方は大きく違ってくる。 この乖離は,しようがないで済ませるしかないものなのか?──しかし,乖離は早晩決定的な<離反>に進み,大学の組織は保たないだろう。 一般に,組織においては,<個の多様性>や立場・居る場所の違いにより,考え方の相違は必ず現れる。 そして,考え方の相違をどのように扱うかが,組織の最も重要な問題になる。 このとき,つぎのどちらかが起こる: 独裁で成功した組織はない。──独裁に進んだ組織は自ら壊れる。 デモクラシーを興すという道しかない。 そこで,上の2本の論文によせて,「デモクラシーを興す」の内容となる「違いを互いに了解し合うために,個々の考え方の違いを際だたせ,その違いの出てくる構造についても深く考えを及ばせる」を行うことにする。 |