Up 要 旨 作成: 2006-10-06
更新: 2006-10-06


    国立大学の研究・教育は,本質的な部分で,評価主義/競争主義とは馴染まない。
    実際,評価主義/競争主義 (これのつまるところは,市場主義) からフリーにするというのが,「国立」の意義であった。

    評価主義/競争主義は,大学に「右肩上がり」を示すことを強いる。
    大学が研究・教育の本質的な部分で「右肩上がり」を示すことは,無理である。 よって,「右肩上がり」を示すために,本質的でない部分で無理矢理「右肩上がり」をつくる。
    いやゆる,バブルである。

    「右肩上がり」は続かない。
    バブル崩壊が起こる。

      註 : バブル崩壊のロジックはきわめて単純である。──バブルは膨らみ続けることはできない。いつか「はじける」。
      ところが,国立大学評価委員会/文科省が行う「大学評価」への大学の対応は,大学人でもこの単純なロジックを理解できないことを示している。


    しかも,「右肩上がり」を無理にやっている間に,大学は自らの理知や品性も落としていく。

      「右肩上がり」を無理に行うことは,大学の理知や品性と合わない。「大学評価」のために「右肩上がり」を演じるかそれとも理知・品性を保つかの選択で,大学は「右肩上がり」の方を選んでしまう。