Up 批判能力/理知主義の低下 作成: 2007-04-13
更新: 2007-04-13


    『平成18年度第5回教育研究評議会報告』(北海道教育大学) の「○報告事項 1. 国立大学協会総会等」の中につぎの一文がある:
      『成長力強化のための大学・大学院改革について』が経済諮問会議に提言された。特に,「3. 大学の努力と成果に応じた国立大学運営費交付金の配分ルール」については,今後「骨太の方針」にどのような形で反映されるか焦点となっている。再び,大学再編の議論が俎上にのる可能性有り。
    《行政の行うことを遠くから見る。》
    自分が当事者であり,成長力強化のための大学・大学院改革についてのようなものが出てきたときにはこれにリアクションせばならない立場であるという意識は,既にない。


    小中の公立学校では,非常識な注文をつけてくる親が増えて問題になっている。
    原因の中心として指摘されるのが,「親が教員を尊敬しなくなった」ということ。 自分並みかそれ以下と見なして,怖れることがなくなった。
    このような親に学校も下手に応じるので,「自分並みかそれ以下」の意識はますます強化される。

    経済諮問会議の「有識者議員」も,この親たちと同じ。
    国立大学人を自分並みかそれ以下と見なして,怖れることがなくなった。
    このような「有識者議員」に対し大学の側も「下知を受ける者」の姿勢で応じるので,彼らの「自分並みかそれ以下」の意識はますます強化される。

    アマチュアの増長は,プロフェッショナルの低劣化と相応ずる。


    実際,例えば
     
    成長力を強化するには、大学・大学院の改革が極めて重要である。世界中の大学がダイナミックに連携・再編に取り組むなかで、日本の大学は世界の潮流から大きく遅れている。"大講座制" "受験競争" "学閥" 等に象徴される大学の戦後レジームを今こそ根絶させ、国際競争力の高い知の拠点づくりを行わねばならない。
    (『成長力強化のための大学・大学院改革について』)
    に対し,「"大講座制" "受験競争" "学閥"」を複雑系としてとらえ,そしてこれの「根絶」の意味が何であり得るかを考えられる理知は,どの程度いまの国立大学人に期待できるだろうか?
    「世界の潮流」(結局は米国流) に対し,国/文化の多様性の意味ないし日本的なものの意味を考えることができ,<米国流をよしとすること・自分をこれに合わせていくこと>の意味が何であり得るかを考えられる理知を,いまの国立大学人に期待できるだろうか?

    然るべくアマチュアの軽蔑の対象になった国立大学人は,このような立問のあることを知らない。あるいは,このように立問し考究に向かう理知を失って久しい。


    「有識者議員」が (自分の無知を知らずに) 素人考えを披瀝することには,何の問題もない。 問題は,素人考えに対してリアクションできる理知が国立大学人の側で失われてしまっていることだ。
    「有識者議員」にすれば,大学からのリアクションがないので,「自分の考えは道理として通るものである」という意識になる。 「この道理をこれまで拒んできた国立大学人というものは,ほとほとどうしようもない人種である」という思いになる。そして増長する。当然である。


    いまの国立大学人は,「理知の見えない国立大学人は軽蔑の対象でしかない」ということをわかっていない。 そして現に,理知は国立大学人の必要条件ではなくなった

    愚かなことに自ら手を染める者は,行為の愚かさに自覚的であるかどうかは関係なく,愚かな行為の常習者になる。

    「愚かなこと」って?
    例えば「3. 大学の努力と成果に応じた国立大学運営費交付金の配分ルール」(『成長力強化のための大学・大学院改革について』) のために,国立大学でいま何が起こっているか?
    「努力と成果」を見せるために,「成果報告づくりのための成果報告づくり」のような「○○のための○○」に時間と労力と金をつぎ込んでいる。
    やっている本人たちは,最初のうちこそ,それの虚偽性/欺瞞性を自覚し,抵抗感をもつ。 しかし,リアクションせずに呑み込むことをする。そして呑み込むことをやってしまえば,呑み込むことにすぐに慣れ,そして呑み込んでいるという意識もなくなる。──アタリマエ化する。

    愚かさは,時が経てば明らかにされてしまう。その時になって後悔する/己に恥じ入ることになるが,その時になるまで自分が見えない。 ──いま国立大学人はこの道を歩んでいる。


    『成長力強化のための大学・大学院改革について』
    (経済諮問会議有識者議員提出資料)
    成長力強化のための大学・大学院改革について

      2007年2月27日
      伊藤隆敏,丹羽宇一郎,御手洗冨士夫,八代尚宏

     成長力を強化するには、大学・大学院の改革が極めて重要である。世界中の大学がダイナミックに連携・再編に取り組むなかで、日本の大学は世界の潮流から大きく遅れている。"大講座制" "受験競争" "学閥" 等に象徴される大学の戦後レジームを今こそ根絶させ、国際競争力の高い知の拠点づくりを行わねばならない。


    1. イノベーションの拠点として 〜研究予算の選択と集中を〜

     優れた研究を生むには、研究計画を評価する機能を高め、年齢を問わず、高い評価を得た研究に予算が集中的に投下されなくてはならない。そのために、総合科学技術会議と連携し、下記の取組みを行うことが必要である。

     (1) 国内外を問わず、国際的に評価の高い研究者が審査する体制を整える。また、事後評価を厳格に行い、次の資金配分に反映させる。
     (2) 研究資金獲得における競争原則を確立させるため、競争的資金(一律ではなく評価に基づく配分)の割合を大幅に高める。少なくとも、平成22年度(第3期科学技術基本計画の終了時)までに現行比率の2倍(科学技術関係予算の約3割)とすべきである
     (3) 年齢を問わず優れた研究が評価されるよう、マスキング評価方式(氏名・経歴を伏し、計画だけで審査する方式)や若手研究者の相互評価方式を導入する
     (4) 若手が自立して研究できるなど若者に魅力ある研究環境を整備する


    2. オープンな教育システムの拠点として
      〜「大学・大学院グローバル化プラン(仮称)」の策定〜

     大学・大学院の国際的競争力を高める環境づくりをめざし、下記の点を重視して、今後3年程度の間にとりくむべき政策をまとめた「大学・大学院グローバル化プラン」を策定することが必要である。

     (1) アジアを中心とした国際的な相互連携プログラムの実現
    海外とくにアジアの大学・大学院との単位互換の上限引き上げや、二重学位制の拡大を奨励・支援する
    授業の一定割合を英語で行い、世界に開かれた大学にする
    学生の相互交流のための奨学金を大幅に拡充する

    注: EUでは、域内の大学間の教育・研究の連携や単位の相互認証など "移動性" に着目した「エラスムス・プログラム」に取組み、年間約10万人が利用している

     (2) 文系・理系の区分の撤廃
    入学時に文系・理系を選択する現行のシステムが、進路選択の幅を狭めたり、融合領域(金融工学等)の人材輩出の制約となったりしていることから、この区分を速やかに撤廃する
    教員や制度の定員をより弾力化し、学問分野を固定させない

     (3) 入試日の分散化、9月入学の実現
    受験生が複数の国立大学法人を受験・合格できるようにし、合格者が複数の大学の中から選択できるようにする
    オープンに内外の人材を受け入れ易くするため、大学の9月入学を実現する


    3. 大学の努力と成果に応じた国立大学運営費交付金の配分ルール

     国立大学法人のみならず、私学についても、国の支援は大学の努力と成果に応じたものになるよう大胆に転換すべきである。そのため、国立大学法人運営費交付金について、現行の教職員数等に応じた配分を見直すべく、次期中期計画(平成22年度〜)に向けて早急に具体的な検討に着手すべきである

     (1) 国際化や教育実績等についての大学の努力と成果に応じた配分ルール・基準とする
     (2) グローバル化、知識の融合化に対応した大学再編を視野に入れ、選択と集中を促す配分ルール・基準とする
     (3) 国立大学法人と私学を区別せず、支援のあり方を改革する