Up | コムスン曰く「悪意はなかった」は本当 | 作成: 2007-06-10 更新: 2007-06-10 |
コムスン曰く「悪意はなかった」。 これは,本当だろう。 経営がすぐに行き詰まるような企業を興す。 経営が行き詰まる。 従業員・顧客・株主・その他いろいろをまき込む大混乱/被害甚大 (会社存続危機) を起こらせまいとして,「しのぎ」の経営をやる。 ──「しのぎ」経営とは,粉飾や虚偽報告をしたり,ルールの盲点をついた反道義的な行為をやるということ。 虚構/犯罪性があからさまにされ,糾弾される。 「地に墜ちた企業」の烙印を押される。 破滅。 悪意はない。 企業の失敗は,大混乱/被害甚大をまねく。 これを懼れて,「しのぎ」経営をやるようになったということ。 この経営の社会に対する犯罪性を見なければ,本人たちには「まことに哀れな者」という感慨をもつ。 この種の問題に対してのマスコミの扱い方は,いつもきまっている。──「けしからん行為の原因は,けしからん者」である。 これがわかりやすい形であり,そしてこのような形でなければ「どこでもコムスン」の形にしなければならないからだ。 実際,法人化で「改革」の道を進む国立大学も,コムスンみたいなものである:
経営が行き詰まる。 「しのぎ」の経営をやる。 虚構/犯罪性があからさまにされ,糾弾される。 「地に墜ちた企業」の烙印を押される。 破滅。 大学人なら,たいていの者はこれを実感している。 ただし,言わない。 これを言うことに,一種「罪悪感」(「非国民的」「反愛社的」の感情) をもってしまう。 「大学執行部に恥をかかせたりつらい立場に追い込むのは気の毒」の思いも強い。 「愛国的・愛社的」の意味を,履き違えているわけだ。 ──「裸の王様」の力学の支配。
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