Up 無理の果ては詐欺行為 作成: 2007-01-30
更新: 2007-01-30


    規制緩和施策により,2003年度から特区制度を利用して株式会社も学校を設立できるようになっていた。 しかし,この会社設立大学に「大学」としての質が疑われるものがいろいろ見つかり,この度全国解禁が見送られることになった。

    大学を設立した会社は,ひとを欺すつもりで質の悪い大学をつくっているわけではない。 質の悪い大学しかつくれないのである。

    会社が大学を設立するとは,その会社がプライス・ベースで大学を運営するということである。 しかし,大学はプライス・ベースで運営できるようなものではない。 大学経営を採算事業にしようと思ったら,大学を自ら否定するような経費カットをやらねばならない。

    この度文科省の改善勧告の対象になった「LEC東京リーガルマインド大学」(資格試験対策の予備校を経営する株式会社「東京リーガルマインド」が開校) の場合は,つぎのような状態であるという (読売新聞 2007-01-18 から引用):
      (1) 予備校のテキストを使い,大学生と予備校生が同じ教室で授業を受けている
      (2) 約170人の専任教員の多くが別の仕事と掛け持ちで,担当の授業を持っていない上,大学での研究活動もしていない
      (3) ビデオを利用した授業で教員がおらず,学生との質疑応答などができないケースがある

    この大学の教員はサボっているわけではない。 勤務内容が寡少であることが,契約内容になっているのだ。
    つまり,こういうことだ:
    人件費の削減を考える場合,人員削減で応じるのには限度がある。 すなわち,大学設置基準があるために,人員は一定数揃えねばならない。
    そこで,賃金を減らすことを考える。 その方法は,「仕事が少ない=安い賃金」。
    ──これの極端な場合が「名前だけを貸す」(ただし,極端とはいってもありふれている)。


    会社設立大学が大学の体 (てい) をなさないのは,「プライス・ベース」だけが原因ではない。
    大学は,建物と人でなるのではない。 大学の本質は<運動>である。
    この運動は,長い年月を費やして醸成され,獲得される。 ──この意味では,大学とは<歴史>である。


    大学の体(てい)をなしていないものを「大学」とするのは,詐欺である。 そしてそれをさせているものは,<無理>である。
    無理をして自分が苦しむだけなら,それは本人の勝手。 問題は,無理は詐欺行為に進んでこれの被害者をつくるということ。
    よって,無理は犯罪である。


    無理は,「チャレンジ」ではない。
    失敗したとき自分のみが困難な立場に陥る場合を,「チャレンジ」という。 失敗したときに他人が被害者になるものは,「チャレンジ」とはいわない。
    しかし,無理をチャレンジと履き違える者がひじょうに多い。

    法人化の国立大学は,無理とチャレンジの履き違えを観察できる格好の場になっている。


    ここでさらに,関西テレビ (フジテレビ系) の番組『あるある大事典』の内容捏造事件を取り上げる。 納豆を「ダイエット効果がある」ものにするために,内容を捏造したという事件だ。 しかも,この番組での内容捏造はこの件にとどまらない。

    この事件では,捏造した者の他には会社のトップが罰せられる。
    それは,管理責任が問われるというものだ。

    しかし,「管理」は本当の問題ではない。
    (「管理責任追及」は,たいてい問題の本質をはぐらかし隠蔽する。)
    この問題の本質は,企画の<無理>である。

    そもそも,番組の放送のペースで,アカデミックな内容の発見をやっていけるわけがない。
    こんな番組の内容づくりを担当する者は,どうな具合になる?
    できなければ番組に穴をあけることになるから,必死に内容をつくる。 時間がないから,ありそうなことを当て込んで,これを支持するものを集める。
    当て込みが失敗したとき,どうする?
    「間に合わなかった」と伝えて,番組に穴をあける?
    「あり得ない!」がそこの空気であるとき,捏造へと進む。
    実際,捏造へと進んだ。

    担当者が悪い/狡い奴だったから捏造したのではない。
    無理な企画が,ひとを捏造行為に追い込んだ。
    そして捏造行為がアタリマエの空気になった (人/組織の堕落)。