Up 要 旨 作成: 2006-09-14
更新: 2006-09-14


    「大学の生き方」を主題化するにあたっては,先ずつぎのことをやらねばならない:

      「糧の争奪戦で生き残る」を真に受ける精神性が,一つの時代性 (特異現象) であること──これを明らかにする。


    国立大学法人化のプログラムは,「糧の争奪戦で生き残る」という枠組みを前提にして出発する。 「糧の争奪戦で生き残る」という枠組みそのものが問われることがない。
    実際,国立大学の法人化では,

      国立大学に「糧の争奪戦で生き残る」を課す

    ことに意味を見出そうとしている。そしてそこにはつぎの思いがある:

      「生きる」とは「糧の争奪戦で生き残る」ことであり,
      <進歩>は「糧の争奪戦で生き残る」からが出てくる。

    翻って,「国立大学は,法人化以前はまともな生き方をしてこなかった」というわけだ。


    しかしほんとうのところは,「糧の争奪戦で生き残る」は「生きる」の特異な在り方の一つに過ぎない。それは,時代的/状況的に相対化される。
    特に,「糧の争奪戦で生き残る」の枠組みの上に立てられようとする大学論は,この出発において既に,特異なものになっている。実際,この大学論は「大学破壊」を導く。