Up 本分・本業の閑却 作成: 2006-09-15
更新: 2006-09-15


    国立大学法人化の構想の基調は,国立大学が企業として財政的に自立することである。 実際,現在,財政的自立を目指すような取り組みを示すことが,国立大学に対する踏み絵になっている。──踏み絵の執行者は,国立大学法人評価委員会/文科省。

    したがって,例えばつぎのようなことをしていることが,国立大学の評価ポイントになる:

    • 出前講義をする。
    • 通常授業に外部者が出席できるようにして,受講料をとる。
    • 各種研修講座を開く。
    • 入学希望者数を下げないために,入試方法の多様化という形で,入試のハードルを低くする。
    • 受験生獲得のために高校回りをしたり,オープンキャンパス等の催しをする。
    • 社会人学生を獲得するために,サテライトを経営する。
    • 産学連携を進める。
    • 国際援助/協力プロジェクトに参画する。
    • 施設をレンタルする。
    • 各種内職をする。

    各国立大学のホームページでこれらの取り組みが謳われているので,参照されたい。


    国立大学に対するこのような発想/思考法を前にして,大学人であれば,先ず,
      このような発想/思考法は,まともなものか?
    というリアクションをしなければならない。そしてつぎに,この発想/思考法を「これの位相を特定する」という形で相対化し,これを批判的に考察する作業に入らねばならない。


    非常識は,極まると「非常識」に見えなくなる。
    しかし,常識論を示せば,その「非常識」はたちどころに暴露される。
    これは,『裸の王様』のモチーフだ。

    上記の「国立大学の評価ポイント」に対しては,つぎの常識論を言う必要がある:

      こんなことをしている場合か?
      まじめに仕事をしろ!


    国立大学が企業として財政的に自立するとは,営利企業 (営利を目的とする企業) になるということである。(論理計算上,こうなる。) しかし,営利企業としての自立は,国立大学が目指す方向ではない。

    営利企業は,「原則, 本業替えに社会的責任が伴わない」という意味で,本業フリーである。これまでの本業が不振に陥った場合,本業替えに勝算が見えれば本業替えを行うこともあり得る。
    これに対し,国立大学は本業固定である。本業を替えたら「国立大学」でなくなる。本業の質を落としたら,ブランドを無くする。

    一般に,本業固定の意味は,社会的役割の固定である。
    本業固定は,財政の自立と両立しない。
    よって,国ないし社会的機関が財政を請け負って本業固定を保証する。

    国ないし社会的機関が財政の請け負いのを辞めるのは,つぎの場合である: 本業の社会的役割が,国ないし社会的機関が財政を請け負うのに価しないものになった。
    逆に,本業固定が必要なのに国ないし社会的機関が財政を請け負うことを辞め本業破壊を導くのは,国家的/社会的損失ということになる。

    そして国立大学は,交付金を減らして内職させるより,適切な額の交付によって本業に専念させる方が,国にとって利益がある。


    では,国が緊縮財政に陥った場合,国立大学の「本業固定」を保つための対策はどのようになるのか?
    交付金を減らして内職させるのは,本業破壊になる。
    交付金を減らした上でなお「本業固定」を保持する方法は,論理計算上,一つである。「スリム化」という形の大学のリストラを行う。

    国立大学法人化の「大学破壊」は,リストラではなく緊縮財政を選んだことの結果である。
    法人化施策は文科省も大学も,苦し紛れなのだ。 しかし,犯罪的なことに,この「苦し紛れ」を「大学の正道」のように粉飾している。(各国立大学のホームページにある謳い文句を参照されたい。) この粉飾がまさに「大学破壊」になる。 ──よって,この粉飾は,許してはならない。


    ここまでのまとめ:
      国立大学は「本業固定」で生きる。
      この一点において大学は営利企業と区別され,そして「国立大学」のこの特徴づけから国の国立大学に対する施策も自ずと定まる。