Up 学長独裁制度の押さえ 作成: 2007-05-11
更新: 2007-05-12


    「不思議なことに大学職員にもあまりよく認識されていない」ことの一つに,国立大学法人の学長独裁制度がある。
    これは,自由主義/デモクラシー社会では類例を見ない独裁制度になっている。


    例えば本日のつぎの通知のように,規則の制定・変更はつねにトップダウンで降りてくる:

    平成19年5月11日
    職員各位
    副 学 長
     
    国立大学法人北海道教育大学学長選考規則  
    の一部を改正する規則の制定について (通知)
     
     このことについて,下記規則が制定された旨,事務局から通知がありましたのでお 知らせします。
     
     
    規則名制定日制定者
    国立大学法人北海道教育大学学長
    選考規則の一部を改正する規則
    平成19年4月23日 学長選考会議議長
     
    (担当 総務グループ)
     
    ※ 制定規則は,教職員用ホームページ (http://office.hokkyodai.ac.jp/) に掲載しております。


    実際,規則制定・変更をこのようにトップダウンでやることが,つぎの規則で定められている:

    学長独裁制度は「学長/大学執行部の無謬性」を前提にしているわけだが,「無謬性」はともかく,トップになった者はだれでも自分が最良だと思っている。
    そこで,個の多様性の原理に立つ自由主義は,<自分が最良>にチェックをかける方法をつくった。──三権分立,そしてデモクラシーである。

    ところが,国立大学法人では,上の二つの規則にあるように,規則の制定・変更は学長の自由裁量になっている。
    そこで,つぎのことが現実に起こってくる:
      <自分が最良>と思っている大学執行部が,<ものを知らない>連中に大学経営を渡したらたいへんなことになると考え,現執行部継続に有利になるような規則の制定・変更を行う。

    実際,以前にも,学長任期を延長するために規則変更を自分たちで勝手に行うということがあった ( 学長選考会議による学長再々任決定の含意)。
    今回も, によって,意向投票の結果に関係なく自派候補を選出できるようにし,また によって,「意向投票」でも自派候補を少しでも有利にする条件をつくった。

    もっとも,「意向投票」には「学長選挙」の意味はない。このことを, が定めている。
    つまり,初代学長/大学執行部に就いた者が,規則を使って,以降ずっと自派によるトップ形成を続けることができるしくみになっている


    学長独裁の体制を組織させたのは,国の行政 (経済界主導「有識者会議」) である。
    現執行部派にいる者も,かつては学長独裁制度の導入はもとより「法人化」そのものに反対を言っていた者たちである。
    しかし,<自分が最良>を自任し<自分が最良>を疑わない傾向性のある者でもあったので,執行部に就くと学長独裁制度を自分に都合のよいものとして使う者になった。

    「国立大学」という組織は,「個の多様性」を組織力のベースにしている。そこで「個の多様性」の活性化/解発 (release) を組織運営のファースト・プライオリティとし,そしてこれを実現する方法論として自由主義/デモクラシーを択る。
    デモクラシーが「民主主義」と訳されるわが国ではデモクラシーの意味がよく理解されていないが,「個の多様性」がデモクラシーの根本原理であり,ここから特に「<自分が最良>は存在しない」が導かれる。左翼イデオロギー的な「中央指導」の考えも,この立場から退けられる。

    しかしこの基本認識とは縁のない者には,「プライオリティ=デモクラシー」は端から念頭にない。 <自分が最良>の選良意識で,デモクラシー無視に進む。
    自分たちのやっているデモクラシー無視の危うさが,彼らにはわからない


    「デモクラシー」は,人類の歴史ではごく最近になってつくられた。 中国の歴史書では,政権交代は易姓革命 (「天命を受けて天子を禅譲される」) だ。
    法人化の国立大学は,学長独裁体制を完璧に制度化した。 国立大学は,易姓革命でしか政権交代がないようになっている。
    ブラック・ユーモアじみるが,これが現実である。