Up | 経済財政諮問会議有識者による国立大学再建指導 | 作成: 2007-05-12 更新: 2007-05-12 |
ここで研究の立場から興味深いのは,「経済界が大学を指導する立場を自任するようになったのは,どういうわけからか?」ということだ。 理由として2点挙げられる。 一つは,自分たちの経済活動 (競争的環境の中で,商品をつくり,売り,収益を得る) と国立大学の営みが同じであると信じるようになった。 もう一つは,自分たちの言うことが行政にも国立大学にもすんなり受け入れられたので,国立大学に対する指導的立場を確信するようになった。 実際には (そしてひじょうに単純なことだが),国立大学はつぎの一点において企業と根本的に違っている:
企業のゴールは「収益を得る」にある。企業活動は最終的にマネーに還元される (マネー一元化)。 特に,営業内容は,より大きな収益を見込める内容に変更可能であれば,変更される (例:電機から通信へ)。 投資ファンド (財テク) は,マネー一元化を突き進めたときの形。 一方,国立大学では「電機から通信へ」はない。「財テク」もない。(ただし,経済界有識者は,国立大学にこれもやらせたく思っている。) 企業活動を「マネー一元化」の相で見るとき,それはマネーゲームになる。 そしていまは「グローバリゼーション」「規制緩和」信仰の時代。この中で,マネーゲームはさらに純粋度を高める。 この情勢に合わせて,マネーゲームのルール整備も進められる。しかし,制度化は裏返せば制度保証 (「ダメと書いていないことはやってよい」)。 意味を捨てて純粋制度ゲームに入るとき,必ず退廃が始まる。 ──「ダメと書いていないことはやってよい」世界。 国立大学は,<生き残り>を課題にもたされ,マネーゲーム的な「なりふりかまわず」をやることが「改革」をしていることになるのだと指導され,そしてその指導を信じた。 「なりふりかまわず」は「大学破壊」のことである。 こうして,「大学破壊」が「改革」の意味になった。 経済財政諮問会議の経済界「有識者」とは,「マネーゲームを得意とする者」の意味であり,それ以上ではない。 将棋の名人は大学を指導しないが,マネーゲームを得意とする者は大学を指導しようとする。 大学を指導できる立場にあると思うようになったのは,自分たちの道を国立大学が歩き始めたのを見たからである。 |