Up | 教養問題としての一律指向/全体主義 | 作成: 2008-08-08 更新: 2008-08-08 |
実際,個の多様性の解発 (release) の妨げられないことが,「自由」の意味である。 「個の多様性」の考えは,不揃いをよしとする。 不揃いを,生きている形とする。 「個の多様性」と「生きる」を同じに見るのは,近代社会になって現れた考え方ではない。 個の多様性は,生きる系の条件である。 よって,これを理解する機会は,どの時代にもある。 すなわち,「個の多様性」に「生きる」意味を見ることができるかどうかは,個人の教養の問題である。
いまの国立大学は,「不具なるこそよけれ」「面白く、生き延ぶるわざなり」の精神文化で国立大学が立ってきたことを理解する教養を欠く者が増えてきている。 「シラバス統制」が示していることは,このことである。 なぜこんなふうになってきたのか? 時代風潮ということもあるが,世代交替の問題もあるだろう。 |