Up 教養問題としての一律指向/全体主義 作成: 2008-08-08
更新: 2008-08-08


    自由主義は,「個の多様性」を絶対命題にする。
    実際,個の多様性の解発 (release) の妨げられないことが,「自由」の意味である。

    「個の多様性」の考えは,不揃いをよしとする。
    不揃いを,生きている形とする。

    「個の多様性」と「生きる」を同じに見るのは,近代社会になって現れた考え方ではない。
    個の多様性は,生きる系の条件である。
    よって,これを理解する機会は,どの時代にもある。
    すなわち,「個の多様性」に「生きる」意味を見ることができるかどうかは,個人の教養の問題である。

      「羅の表紙は、疾く損ずるがわびしき」と人の言ひしに、頓阿が、「羅は上下はつれ、螺鈿の軸は貝落ちて後こそ、いみじけれ」と申し侍りしこそ、心まさりして覚えしか。
      一部とある草子などの、同じやうにもあらぬを見にくしと言へど、弘融僧都が、「物を必ず一具に調へんとするは、つたなき者のする事なり。不具なるこそよけれ」と言ひしも、いみじく覚えしなり。
      「すべて、何も皆、事のとゝのほりたるは、あしき事なり。し残したるをさて打ち置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり。内裏造らるゝにも、必ず、作り果てぬ所を残す事なり」と、或人申し侍りしなり。 先賢の作れる内外の文にも、章段の欠けたる事のみこそ侍れ。 (『徒然草』, 第82段)


    いまの国立大学は,「不具なるこそよけれ」「面白く、生き延ぶるわざなり」の精神文化で国立大学が立ってきたことを理解する教養を欠く者が増えてきている。 「シラバス統制」が示していることは,このことである。

    なぜこんなふうになってきたのか?
    時代風潮ということもあるが,世代交替の問題もあるだろう。