Up 論点 :「大学の教育」 作成: 2007-09-04
更新: 2007-09-04


    国立大学の法人化の中で,個はつぎの二つのスタンスを使い分けることになる:

    1. 旧態依然に対する革新
    2. 大衆/グローバル路線に対する大学の保守

    「統一フォームシラバスの強制」の立場は,A である。


    「旧態」「大衆/グローバル路線」は,それぞれ大学の在り方の一つである。
    研究的態度は,「旧態」「大衆/グローバル路線」の意味の考察に進む。

      ちなみに,国立大学の法人化が国立大学人の行うこととして<異様>なのは,そこに研究的態度が存在していないことである。


    「旧態」に属する教育に,例えばこのようなのがある:

      「かんなの削りくずを残す」

    棟梁のかんなの削りくずを見て,弟子がこれと同じ削りくずを出せるように修行する。 大衆/グローバル路線だったら「さっさと教えてしまえばいいじゃないか」になってしまうが,「さっさと教えてしまう」は,教育として,「かんなの削りくずを残す」と同じにはならない。「カラダ形成」的に違うのだ。

    伝統的に大学教育を高校以前の教育から分けていたのは,「かんなの削りくずを残す」教育を中心にしていたことである。


    「旧態依然」を言うときは,「革新は,旧態の実質を失わずにさらにこれを超える」の考えに立っていることになる。
    「旧態」を知っている・理解している者であれば,「それは違う」と言う。

    法人化で国立大学がいとも簡単に大衆/グローバル路線に転じた理由の一つに,「旧態」をほんとうに知っている・理解している者が存外少ないということがありそうだ。 (「大学人だから大学を知っている/理解している」とはならない。)