Up 強いてするなら,実験 作成: 2009-07-18
更新: 2009-07-18


    「法人化」に大学院不況が重なった国立教員養成系大学は,「教員免許をとりたいなら,大学院へ」の教員免許商法に手をつけ始めた。
    大学院不況は,構造的なものである。 3次募集をしても,教員免許で誘っても,学生数の回復にはならない。
    それどころか,「教員免許をとりたいなら,大学院へ」をやれば,大学院の意味が変えられ,教員免許の意味が変えられる。 すなわち,低モラルの意味へと変えられる。

    しかも,「法人化」の国立教員養成系大学が教員免許商法に手をつけようとするとき,そこにはきちんとした損得計算の裏付けができているわけではない。 いつもの「バスに乗り遅れるな!」ムードに流されている。 ばくぜんとした思惑,思考停止が支配している。
    この様相で教員免許商法がやられるとき,それは<賭け>でさえない。 単に,<実験>である。 ──実際,これの失敗を自分の破滅と定めている者は,ここにはいない。

    ならば,これをどうしてもやりたいという場合の許される形は,実験である。


    実験している間に独り取り残される」みたいな危惧は,無用である。
    繰り返すが,「教員免許をとりたいなら,大学院へ」は,大学院不況の対策にはならない。 ならないどころか,大学院や教員養成のモラルをダメにする。 やっていることは,「財産の食い潰し」である。(「遺産の食い潰し」の構造)
    これらは,横並びするようなことではない。
    ──実験は,「こういうことをしたら失敗する」ということの実験になる。