Up 王道・公道論 作成: 2010-04-04
更新: 2010-04-04


    組織論・人生論・教育論の古典には,必ず「王道・公道に基づくべし」がある。
    「王道・公道に基づくべし」とは,「結局,王道・公道に帰る」ということである。
    王道・公道の逆を行くものは,早晩破綻する。

    現前の「戦略的企業経営術」は,この先古典にはならない。 王道・公道の逆を行くものだからである。 早晩破綻するものを説く言は,古典として残らない。

    「王道・公道に基づくべし」の著者は,自身王道・公道の逆をやって酷い目にあった者である。 そしていま,王道・公道の逆をやって酷い目にあった者は,古典の「王道・公道に基づくべし」を目にして,「ああ,やはりそういうことだよなあ」としみじみ思うことになる。

    しかし,この認識は,自分で失敗を経験してはじめて得るものである。 ひとは,<目先のしのぎで事の成否を考える者>からスタートする。
    このときは,異論が出ないように根回しをし,容易に壊れる張りぼてをそっと抱える体(てい)で,だましだましで局面の切り抜けをはかろうとする。 「切り抜けてしまえば,後はこっちのものだ」「切り抜けた先には,幸がある」 の思いでいる。
    ところが,本当の地獄はこの後である。
    だましだましで成したたものは,保てない。
    保てないものを保つことを自分の仕事にしてしまい,身心をすり減らす。
    そしてついに破綻する。

    ちなみに,「法人化」の国立大学は,「戦略的企業経営術」を地で行くことに自ら決めている。 そして,上に述べたようなことばかりをやっている。

      「法人化」の国立大学の「戦略的施策」は,思いつきでやる施策である。
      思いつきの施策がなぜ実現してしまうのかというと,根回しが方法になっているからである。 根回しは,異論を抑え,問題を隠す。
      異論を抑え問題を隠して実現した施策は,実施に移すとたちまちに問題を現し,「愚策」になる。 しかし,組織は,この「愚策」にこれからずっと付き合わされることになる。