Up 「実践」科目は<だれでも担当>仕様 作成: 2009-12-14
更新: 2009-12-14


    「実践」科目は,中身を考えないで,導入が決められた。

    何をやるかわからない科目は,何をやってもよい科目になる。
    実際,何をやってよいかわからないが,しかし授業をやったことにしなければならないとき,「何をやってもよい」がなければ,引き受け手はいなくなる。

    何をやってもよい」ことになった「実践」科目は,「科目の負担を公平に分配」のルールで,当番のように受け持つ科目になる。
    「実践」科目は,<だれでも担当>仕様の科目である。

    <だれでも担当>仕様の科目に,いったい意味があるのか?
    もちろん,ない。
    しかし,意味もない科目でも,ひとたび制度になれば,続けられることになる。 ──「当番じゃ仕方がない」調で,続く。

    当番じゃ仕方がない」「時間を埋める何かを適当にさがして,授業の格好にする」調の授業でも,学生にとって授業になるのか?
    もちろん,ならない。 ──大学教員は,アドリブができるほど器用でも優秀でもない。
    「実践」科目は,みんなに迷惑である。


    どうしてこうなってしまうのか,この構造をしっかり理解しよう。

    「実践」科目は,中身を考えないで,導入が決められた。
    中身を考えないで導入されるものを,「箱物」と謂う。
    箱物は箱物で終わって,みなが迷惑するものになる。

    箱物をつくる者は,アタマの構造が
      If we build it, they will come.
      wethey
    になっている。
    自分ではいいことをしていると思っている。
    この考え方が,みなに迷惑を与える。

    箱物をつくる者──"If we build it, they will come." タイプの者──の<やっかいさ>は,「モンスター」のやっかいさである。
    ( 「実践」科目はなぜつくられる──「実践」科目を発想する者の思考タイプ)