Up 「実践」科目はなぜつくられる
 ──「実践」科目を発想する者の思考タイプ
作成: 2009-12-13
更新: 2009-12-13


    学校教育は,振り子運動をする。 最近のことでは,「ゆとり教育」が反「ゆとり教育」に転じた。 この「ゆとり教育」で目玉商品になったのが,「総合的学習の時間」である。

    「総合的学習の時間」を唱えた者の想いは,つぎのようになる:
      「総合的学習の時間」の導入が上から定められれば,
    下(学校教育界)は「総合的学習の時間」の実現に向けて動き,
    「総合的学習の時間」を実現し,
    「総合的学習の時間」の運用によって,自ずと望ましい教育を現す。
    ここで,要点になるのは,つぎの思い込みである:
      下知すれば,下は「総合的学習の時間」のことばの中身を埋める。
    実際には,「総合的学習の時間」の中身は埋められない。
    「総合的学習の時間」を唱えた者に,
      自分で,「総合的学習の時間」の中身を埋めてみろ!
    と言ってみよう。彼らもできない。


    「総合的学習の時間」を唱えた者は,<「総合的学習の時間」のことばの中身を埋める者>の範疇に,自分を入れていない。 自分のことを,<線を引く者>であり,<この線に従って作業する者>とは別格,と見なしている。
    彼らは,つぎのような考え方をする者たちである:
      "If we build it, they will come."

    この思考タイプをもつ者は,組織の指導部に入りたがる。
    また,組織の指導部に入った者は,この思考タイプをもつ者になる。

    以上述べた構造・ダイナミクスは汎用的であるので,しっかり覚えておくとよい。
    いま問題にしている「実践」科目も,この構造・ダイナミクスで理解できるものである。