Up 手続き論のパフォーマンスで浮いてしまう 作成: 2011-07-18
更新: 2011-07-18


    「法人化」の国立大学の学長は,独裁をやる。独裁をやらねばならない。
    実際,「法人化」で謳われる「学長の強力なリーダシップ」の意味は,「学長独裁」である。 独裁をしなければ文科省から叱られるというしくみになっている。

    財政でしのぎに苦心する大学トップは,任期制を導入したい。 そして大学トップは,任期制導入を独りで決められる立場にある。
    しかし,<制度的に独裁できる>と<独裁が実効する>は,別のことである。 独裁体制といっても,強権はできない。
    任期制導入は,<組織に諮った>の形をつくって断行するというものになる。

    組合は,ここのところを勘違いしてしまう。
    「ものごとは民主主義のルールに従って決められねばならない」から出発する。 そして,大学トップの<組織に諮った>には民主主義のルールの逸脱があると糾弾する。この手続き論を延々と展開する。 またその中で,「ルール逸脱」の事実を曝くというやり方を使う。

    「法人化」の国立大学は独裁政権であるから,これは論点が最初からズレている。 独裁政権は,民主主義のルールに従わないことがアタリマエなのである。

    論点を外した論を延々とやることは,論点を外した論でその場を支配するということである。
    この論のロジックに与しない者は,辟易して,次第に引いていく。
    また,「ルール逸脱」の事実を暴露していくやり方も,暴露主義の嫌味として残るふうになる。