Up 《相手の土俵で対抗》の方法論
    ──相手の土俵の<改良>をパフォーマンス
作成: 2011-07-19
更新: 2011-07-19


    組合は,大学執行部への反対勢力を組織する役割を自任する。
    長の選挙では,組合から長の候補者を立て,選挙運動を行う。
    任期制導入の問題では,反対意見を結集する役割を自任して,反対意見の自陣への回収をパフォーマンスする。

    反対は,一つの土俵の上で相手に対し,反対することである。
    反対者が上る土俵は,相手が用意した土俵である。
    反対者が相手の用意した土俵に上るのは,これを相手と闘う方法と定めているからである。

    こうして,反対者は,相手が用意した土俵を最も「尊重」する者になる。
    この土俵に上らず斜めに見るような類は,「秩序を乱す者」「けしからん者」ということになる。

    たとえば学長選挙では,かつて「意向投票」「学長選考会議」の制度に反対の立場であったものが,いまは「意向投票」「学長選考会議」を絶対とし,この中で自候補が勝てるようにしようという立場に変わっている。

    なぜこのような論理矛楯をやってしまうかというと,「自分たちが長になる」をゴールにしているからである。
    「自分たちが長になる」をゴールにしているので,長を定める制度で現前のものは,なんでも受け入れることになる。 そして,この制度の中で自分たちのシンパが多数派になるようにすることを運動方針に立て,この運動をする。

    このとき,「自分たちが長になる」の意味づけは,思考停止になっている。
    実際,《個々の思いは別々でも,「反対」では一つになれる》で反対勢力を組織しようとする者は,論理上,「自分たちが長になる」の意味を思考する者にはなれないのである。