Up 「スターリン体制」(前衛主義) 作成: 2006-03-08
更新: 2006-08-06


    国立大学の法人化は,官製/官指導の「大学改革」が「学長の強力なリーダシップ」で進められる。
    このリーダーシップは,大学の組織風土によっては,「前衛党の指導」になる。 ──すなわち,自ら「思想的・政治的リーダ」を任ずる独善的なグループが大学執行部をとり,事務組織と結んで,トップダウンで「改革」を進める。特に,「改革」は彼らの「計画経済」になる。

    この「改革」によって,これまでにはなかった形の政治体制が大学にできあがる。
    それはどのようなものか?

    ここでは,「前衛主義の行く着くところ」の事例として,歴史から「スターリン体制」を引く。

      註 : 前衛主義は,「意識の高い者が低い者を導く」「プロセスは目的において正当化される (革命的合法性)」という立場。これは,デモクラシーの対極になる。そして,この前衛主義が何を導くかを示す歴史事例に,「スターリン体制」がある。


    1.

    執行部は,母体となる派閥=「仲間 (party)」を組織し,その党で組織運営を排他的に掌握しようとする。執行部は党執行部と重なる。

      註 : 自由主義がデモクラシーにつくということには,「党による組織運営の排他的掌握」を許さないという含意がある。
      比較 : 国立大学法人化以前は,大学運営に比較的大きな論点があるわけでなく,大学執行部の排他的掌握のために党の組織化に精を出すなどは,あまり関心をひくことではでなかった。 ところが,国立大学法人化では,大学執行部を排他的に掌握することの含蓄がとてつもなく大きくなった。これに応じて,執行部の排他的掌握のための母体としての党の意味が大きくなった。

    執行部/党による支配・統制は,執行部が計画段階を握り,そして計画段階・執行段階での活動の担い手もまた党によって任命・統制される,という形で実現される。


    2. 計画経済,トップ・ダウン

    組織運営は,党執行部が決める「計画経済」の形で進められる。
    この「計画経済」の特徴は,これをチェックする<他者>をもたないということ。

      比較 : 国立大学法人では,「国費で賄われる」(=文科省が上位管理する)が,「計画経済」がマーケットに曝されないよう守っている。「計画経済」は,マーケットからの遊離,コスト合理性からの遊離が許される。

    執行部 (トップ) の方針は、中央および下部組織の議会・各種委員会を装置にして,「報告」ないし「協議題」の形で組織構成員 (ボトム) に諮られる。
    しかし,骨幹部分の代議員は,党員が占めるあるいは党員が多数を占めるように,工作される。したがって,代議制の形骸化がつくられる。
    あわせて下部組織の会議・委員会の工作を行う。こうして「ボトムに諮る」は形骸化し,トップ・ダウンが常態となる。


    3. 革命的合法性

    党独裁をとるかデモクラシーをとるかで,党独裁がえらばれる。
    デモクラシーの装置は,「革命的合法性」により,無視される。 すなわち,「革命の利益は,法の形式的遵守に優先する」という立場がとられる。
    劣った者は法に従い,優れたものはこれを超越する」という発想だ。(優越主義)

    マーケットから遊離しコスト合理性から遊離した「計画経済」の遂行は,組織にさまざまな被害,ひずみをもたらす。
    状況はつねに「非常事態」「非常措置」が繰り返され,恒常化する
    しかし,プロセスは目的 (前衛党指導の「革命」が将来的にもたらす利益) によって正当化される。 ──すなわち,「革命に犠牲はつきもの」となる。

      註 : 自由主義が個人主義につくということには,「革命に犠牲はつきもの」を許さないという含意がある。
      比較 : 「デモクラシー無視」は,大学の場でもそんなに簡単にできることなのか?
      鍵は,「学長の強力なリーダシップ」。 ──デモクラシーを担保する規定は,「学長の強力なリーダシップ」を名分に,党の「指導的役割」のはるか下位に置かれ,空文に帰す。 「学長の強力なリーダシップ」は,「規定変更が任意」により,各種規定から超越している。
      ちなみにこの現実は,反照的に,「三権分立」の意義をよく示す。 ──先人が「三権分立」の獲得のために熾烈に闘ってきた理由を,よく示す。


    4.「粛正」

    「計画経済」のトップ・ダウンは,必然的に,「非常事態」の恒常化を生む。
    党執行部も,この状況の対策に苦しむ。 そして,「スターリン」の歴史事例が示すところでは,このとき,もっとも危険なことが起こる。
    すなわち,党執行部が,「非常事態」の恒常化の原因を,反革命分子の反革命行動 (妨害行動) に帰すキャンペーンを行う。そして,反革命分子の「粛正」に進む。
    これは,「畏怖」「恐怖」をつくること,そして一党独裁を決定的にしていくことと重なる。


    5. 知的低劣

    一党独裁は,排他と自己正当化 (党の不謬性,絶対的団結) を無理な態で行うため,必然的に「知的低劣」の外観を伴うようになる。
    どこかの国の国営放送番組での領袖賛美や党大会を見てわたしたちが愚劣ないし空虚に感じるものの正体は,この「知的低劣」。

      比較 : 岩見沢校/北海道教育大学の本館工事では,「非常事態」の恒常化と「非常措置」の繰り返しという状況の中で「党の不謬」路線が続けられ,これに伴う知的劣化の現れが諸処に観察された。(「本館改修工事」研究)


    6. 一党独裁の構造安定性

    国会内の政党の勢力図は,国民による選挙で変わる。 国会議員が選挙民で政党を選べば,政党の勢力図は変わらない。 これと同じ理屈で,一つの組織に発生した多数派党は,勢力図において構造的に安定している。

    しかも,党は
      (1)「革命的合法性」の立場に立ち
      (2)「非常事態」を理由にして
    デモクラシーの装置を無視するので,デモクラシーも機能しない。

      比較 : これを阻止する装置は「三権分立」だが,「学長の強力なリーダシップ」の国立大学法人化には無い。──人権委員会も,安全衛生委員会も,「党」を裁く事態は想定していない。 「朕は法なり」の世界だ。
      翻って,法人化の最初の段階がきわめて重要だった。 「党」による大学執行部の掌握が一旦成功すると,規約の直接操作で執行部掌握を続行できる。(「学長選考会議による学長再々任決定の含意」(宮下, 2006-01-08))

    ちなみに,この構造安定的な一党独裁が壊れる契機は,「不正」のみ。
    「虐待」の形で党がめちゃくちゃをすること自体は,独裁体制を揺らがす危険要因にはならない。この場合の「めちゃくちゃ」の対象化は知的に高度な作業になるので,けっきょく根気が続かずあきらめられる。

      比較 : 本館工事による「虐待」や教育・研究破壊では,執行部は何ら揺らぐことはなかった。

    一方,トップの「不正」に対しボトムが不満を抱き,不満をもとに連帯をつくることは,簡単に起こる。外からも制裁が来る。しかも,一党独裁は必ず腐敗し,不正をしてくれる──これは論理的に証明される。


    7. 腐敗

    一党独裁体制は,必ず腐敗・不正に至る。

    先ず,精神的腐敗が恒常的なものになる。
    「独裁=排他」は,人を陥れる・操るという対人スタンスをカラダに取り込んでしまう。この先には,陰湿,策略的といった人格形成がくる。また,策略的の裏返しとして,警戒とか猜疑にとりつかれる。

    つぎに,「革命的合法性」の理屈は,党執行部/党員に,<超法規的な存在>として振る舞うことの慣れをもたらす。私的を公的の中にあたりまえに持ち込み,公的なことの歪曲と私利私欲の行為に無神経になり,ついに感覚麻痺の態で腐敗にどっぷり浸かるに至る。

      比較 : 旧国立大学と比較して,「学長の強力なリーダシップ」の国立大学法人では,「犯罪性を隠蔽しつつ大きな腐敗に浸る」がはるかに容易なものになった。
      最も露骨なものは「お手盛りポスト」だが,実際これは必ず現れる。──「お手盛りポスト」は「公私混同」の感覚麻痺を簡単につくりだす。


    8. 部局組織の肥大化

    部局組織 (「中央委員」) の肥大・階級化が,つぎの2つの理由 (要因) で起こる:
    • 執行部体制の強化
    • 報償人事/ひいき人事

    これは,「指令の下請け構造」を階級身分的に整備することにもなっている。
    また,部局員選出を任命制で行うという形式により,党機構の官僚化も進行する。
    こうして,執行部は,ますます「雲上の存在=見えない存在」と化していく。


    9. スターリン体制の確立 (デモクラシーの終焉)

    組織での党と執行部の優位性・絶対性が確立。反対者は封じ込められる。
    党による「指令のトップ・ダウン」構造が完成し,各種委員会や会議は,党員が蹂躙するものになる (議論よりも組織措置)。すなわち,執行部の計画を機械的に通過させるだけのもの,名分を与えることを機能とするものに,成り下がる。
    法治主義はいまや跡形もなく壊され,公私のけじめもない。
    ひとりよがり(=執行部のアタマ程度) のむちゃくちゃな方針,計画が横行する。


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    以上,スターリン体制の形成プロセスと要素について述べてきたが,この中でとりあげた「一党独裁の構造安定性」に関連して,「構造安定性」の概念をここでやさしく説明するとしよう。

    いま,坂の途中 (A点) にボールを置く。この状態では,ボールは転がり落ちて,底 (B点) に至って止まる。
    このとき,ボールが A点に位置する構造は不安定であり,B点に位置する構造は安定している,と言う。 (この喩えでは,「構造」は物理(力学)のことばで述べられることになる。)


    ボールを A点に留めるには,つぎのようにガードを設けねばならない:


    デモクラシーと独裁は,それぞれ A, B のように相対する。
    デモクラシーは,特別にガードを設けねば,すぐに独裁体制に墜ちていく。
    一方,独裁体制は,閉じた系としてはひじょうに安定している。

    デモクラシーをガードするものが,デモクラシーの各種装置だ。
    先人は,これを長い歴史の中で,営々と開発してきた。

    ところが,デモクラシー社会に棲んでいると,空気が意識されないようにデモクラシーが意識されなくなる。各種装置の存在理由 (意義) やデモクラシーのありがたみ(それが壊されたときの危険)が,まったく意識の対象でなくなる。


    ただ,意味がわからなくてもその装置をみんなが守っているうちは,まだなんとかだいじょうぶ。
    ところが,その装置を敢えて壊す厄介者が,歴史の中では絶えず現れてくる。「自分は偉い」「自分が法だ」と自惚れる者たちだ。

    このような者には,2タイプある:
    • デモクラシーにもともと無知な者
    • 前衛主義につく者


      比較 : 岩見沢校/北海道教育大学教授会で「報告」扱いを連発し,また (「動議-採択-議論-採決」を中心に据える) 議事法を無視する執行部は,この行為によってデモクラシーの装置を壊している。 彼らは上の2タイプのどちらに類するのかといえば,(デモクラシーに無知なわけはないので)「前衛主義」ということになる。
      ──したがって,このような論考で,「スターリン体制」の警鐘を鳴らし続けていかねばならないというわけだ。


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    ところで,「前衛主義」が繰り出す「危険なシナリオ」はとどめようがないのか? とどめ得るとすればそれはどのような方法によってか?

    組織が外と隔絶した態でいれば,この流れはとどめようがない。一党独裁は,構造的・力学的に安定している。その進化は,「合理的」である。

    救いは,今日どの組織も,外 (デモクラシー) に開いていなければならない存在だということ。
    但し,この救いは,外に開く行動が実際にあってはじめて「救い」になる。
    そして,外に開く行動とは「言論」のことだ。

      比較 : 「大学」である岩見沢校/北海道教育大学は,言論を統制できない。
      よって,岩見沢校/北海道教育大学を良くするも悪くするも,個々の言論活動にかかっている。