Up 「課程再編」の心得違い──シーズのスクラップ 作成: 2006-04-17
更新: 2006-04-17


    「課程再編」は,一面で「スクラップ・アンド・ビルド」。
    しかし,「スクラップ・アンド・ビルド」は,意味を履き違えると,ただの自傷/自殺行為になる。

    スクラップされるのは,時代に合わなくなり,組織に機能障害・コスト障害を及ぼすようになってきた製造環境 (設備) ないし製品種。そして,ビルドされるのは,時代に合っており,組織に機能改善・コスト改善をもたらす製造環境 (設備) ないし製品種。
    ところが,「課程再編」では,組織のシーズである製造能力をスクラップするという誤りがおかされる。

    大学は,専門性でもつ。「これまでの専門を捨て,新しい分野に素人としてチャレンジ」は,大学を辞めたということになる。 したがって,これまで専門的な仕事をしてきた者が素人になってしまうような「課程再編」は,大学のものとしては,人の入れ替えによってのみ実現可能である。
    逆に,人材をそのままにし,そして専門性の発揮する場をなくすような「課程再編」は,組織のシーズ自体の破壊であり,よって,この「スクラップ」の後に大学の「ビルド」は続かない。

    「課程再編」や「法人化」での教員人材の扱いは,中国の「文化大革命」での「下方運動」を想起させる。教員の下方は,組織にとっての無駄遣い。下方運動を人間改造やファカルティ・デベロップメントのように考えるのも,間違い。下方運動のもたらすものは,人材/専門性の劣化と経済的損失だ。

    リストラの課題は,組織の専門性 (=組織の強み) をしっかり発揮するための資源/人材の集約・布陣である。逆に,やっていけないことは,専門性を希薄にするような業種替え (→ 散漫な人材配置)。

    基本は,あくまでも自分の本来の仕事 (専門) につく/こだわるということだ。
    「いまの自分に満足していては進歩がない」「捨ててこそ立つ瀬がある」と説く成功者は,自分の仕事にこだわったところで,こういうことをやってきている。自分の仕事を捨てているのではない。──この点を見誤ってはいけない。