Up 中央指導の敵:体制蹂躙的コミュニケーション 作成: 2006-04-30
更新: 2006-08-26


    体制蹂躙的なコミュニケーションは,中央指導の敵になる。
    それは,中央指導の秩序を乱し,体制を破壊する。
    よって,共産主義国家が好例になるように,中央指導体制は,体制蹂躙的なコミュニケーションの弾圧を図る。
    この弾圧は,メディア管理と個別摘発の2面で行われる。


    メディア管理は,メディアが貧しい段階では成功する。 しかし,今日,個人がコスト・レスでグローバルなコミュニケーションを展開できるメディアが,大衆のものになってしまった。インターネットである。

    中国共産党がインターネット上の言論統制に躍起になっている様は,中央指導体制の最大の敵が「交通」であることがよくわかる。そして,この勝敗は明らかである。


    体制蹂躙的なコミュニケーションを敵視する中央指導の体質は,大学執行部のものでもあり得る。 実際,一部/一人の教員が,教員全体にメールで問題を知らせ,意見を求めるという手法を,嫌う。
    この敵視政策に対する執行部側の合理化は,およそつぎのようになる:

    • 他の教員に有害
        委員会を超え,かつ全体に馴染まないメールの配信は,教員を無用に煩わせることにもなり兼ねない。──メールを受けとった教員は,何をどのようにすべきなのか,徒に思案することになる。
    • 委員会の分限
        当該の問題に関して,全体の教員に問題を整理し,課題を提起するのは当該委員会の役目。──委員会制度は,このことの認識の上に立つ。
    • 問題把握に関する委員会の優越
        当該の問題をいちばんよくとらえているのは当該委員会である。問題提起においては,先ず当該委員会に諮り,相互了解の上に行うことが必要である。

    さらに,「通信内容の守秘義務」をつぎのように拡大解釈して示してくることもあり得る:

      当該委員会とのやりとりのメール文を,他の教員に開示すべきではない。


    中央指導が嫌っているのは,「直接制のネットワーク」。
    そして,「かくあるべし」としているのは,「中央指導/執行部指導のトリー」。



    「中央指導/執行部指導のトリー」に対する「直接制のネットワーク」の立場は,つぎのようになる :

    • 直接制のネットワークは,自由主義・デモクラシーに立ち,個としては<主体的・参画的・問題共有的な個>を見る。 ──その個は,「何をどのようにすべきなのか徒に思案したり,無用に煩わされる」個の対極にある。

    • 直接制のネットワーク (自由主義・デモクラシー) では,個は「問題を整理し,課題を提起する」役目 (義務) を負い,またこれを権利としてもつ。

    • 直接制のネットワーク (自由主義・デモクラシー) では,委員会制度は代議制の一つの形である。代議制は直接制を効率的にするための装置であり,指導の装置ではない。 ──実際,知は多数の個に存する。少数は,個の知 (それが集まって形成する複雑系の知) を拾えない。よって,中央指導/執行部指導 (前衛主義) はつねに誤る (例:共産主義国家の計画経済の破綻)。

    • 直接制のネットワーク (自由主義・デモクラシー) では,メール/インターネットは,自由主義・デモクラシーを実現するためのインフラとして,ことのほか重要なものになる。──実際,メール/インターネットの登場で,反照的に,自由主義・デモクラシーがこれまで自身を実現するインフラを実は持っていなかったことがわかった。


    代議制も,中央指導/執行部指導のトリーと同じ形をとる。
    代議制のトリーと中央指導/執行部指導のトリーの違いは,僅かに意味付けの違いだ──ボトムアップとトップダウン。
    構造的に同じなので,ボトムアップは容易にトップダウンに変えられる。

    このように,代議制というのはひじょうに危ういシステムなので,代議制を中央指導/執行部指導からガードするには,さらに装置が必要になる。これが,直接制のネットワークだ。
    直接制をないがしろにする代議制は,中央指導/執行部指導にとって代わられる。
    逆に,中央指導/執行部指導は,「組織秩序」の言い方で,直接制を排斥しようとする。──中央指導/執行部指導の安定は,直接制の排斥にかかっている。


    岩見沢校/北海道教育大学では,法人化以降,代議制のトリーは完全に中央指導/執行部指導のトリーになった。 教員会議 (「教授会」) も,中央指導/執行部指導の一装置 (=中央指導/執行部指導を承認する場) になって久しい。
    しかし昔ならば絶望的であったであろうこの状況も,今日は直接制のネットワークとしてインターネットがあるおかげで,救いがある。
    ──実際,「絶望的」のことばを使うならば,それは中央指導をいまなお信ずる者に対してである。