Up 評価社会──高ストレスと知力劣化の構造 作成: 2006-07-22
更新: 2006-07-22


    社会は急速に,評価の制度化に邁進する社会(簡単に「評価社会」と言い表す) になった。

    「評価」の文化は,外からやってきた。そしてなぞりの常として,逆方向に針を振り切るようなことがやられ出す。
    現前の「評価社会」は,偽善社会である。 組織や個の失敗は「犯罪」として取り上げられ,糾弾される。そして立場の失墜。

      例 : 大学入試問題の内容ミス,入試監督の居眠り,試験開始/終了時刻の間違い等は,新聞紙上で「犯罪」的に扱われる。

    組織や個人は,失敗しないように汲々とする。

    失敗しないことを,昔は「機械みたいだ」と言った。すなわち,失敗することに「人間味」を感じていたわけだ。
    いまは,機械みたいでなければ許されず,そしてひとは自ら機械に化そうとする。

      異物の混入しない食品製造などは,人間わざとしては信じられないことだが,今日の食品製造会社はこれを実現しているのだから,たいしたものだ。

    機械になれるわけはないのに機械になろうとするから,当然無理が生じる。
    そして,ストレスに陥る。

    ストレスに陥る構造を,押さえておこう。
    評価社会になると,従来の仕事の意味が一変する。 ──仕事は,「トラブルに出会うこと・トラブルに対処すること・トラブルに対策すること」になる。
    仕事は,本末転倒然とした (やりがいのない) ものになる。
    しかも,トラブルへの対処・対策はより完全を目指せば切りがなく,しかも周りからは迅速・完全な対処・対策を当然視されるので,長丁場を短距離走で駆けるような仕事スタイルになる。

    できもしないことに対して「できない」と言うこと,やりがいのないことに対して「しない」と言うことが,評価社会ではアタリマエのことでなくなる。──「できない」「しない」ということが一種勇気になってしまう社会。

    これは,集団的狂気か? もちろんそうである。
    そして報いとして,ストレスという病を抱えるようになる。

    長丁場を短距離走で駆けぬけるようなことをするから,カラダも精神も疲弊する。
    知力は劣化し,正常な判断ができなくなる。 本来大事なことは,考えない。
    仕事の意味を考えずに,仕事をただ消化するだけ。 仕事の計を長いスパンで考えることなどは,とっくに忘れられている。

    無理を行うことを善いことのように思わせる評価社会の偽善は,きちんと叩いていかねばならない。