Up 要 旨 作成: 2006-05-14
更新: 2006-05-22


    『北海道教育大学中期財政指針(案) ─入るを量りて出ずるを制す─』が,現在パブリックコメントにかけられている。

    述べられていることの基調は,「財政難である──執行部が財務的に措置することは理由があることなので,教職員はこれを受け入れるように」だ。
    財務的な措置は,項目を並べるのみで,数値 (すなわち,規模/サイズ) を示せていない。


    「指針」は,<警鐘を鳴らし,指示に従うよう求める> (「津波が来たぞ,山に上れ!」) スタイルで書かれている。 しかしこのスタイルは,大学人というものを理解していない。

    大学人の場合,理を求め理につこうとする性癖があるので,<警鐘を受け取り指示に従う> (「津波の警報を聞いて山に上る」) という行動にはならない。 実際,警鐘の理由および指示の内容の合理性を問う。
    しかし「指針」は,「合理性を問う」に応ずる内容を備えていない。

    要するに,「指針」は執行部の勝手を言う態になっている。


    科学の方法に,「反証/論駁可能性 (refutability)」というのがある。 自分の考えを相手に問う場合,相手からの反証/論駁を可能にする形になっていなければならない,という方法論だ。
    実際,この形を採らないことは,相手のリアクションを封じることと同じである。「自分の考えを相手に問う」という目的が達せられない。

    「リアクションを封じるために情報を少なくして出す」という手法は,いやというほど目にする。 そして,ひとはこの種の知的不正直にひじょうに敏感になっている。(敏感になる時代的理由がある。すなわち,情報化社会におかれているということ。)
    よって,中途半端な作業は,「知的不正直」と受け取られやすい。 ──大学執行部はこのことに十分留意する必要がある。


    ともかく,「合理性を問う」という形のリアクションが「指針」に対しては不可能である以上,われわれとしては,執行部の動きに自分のリズムを合わせるのではなく,問題とソルーションを自らの科学的な目・アタマで捉えことに努めるしかない。