Up 「お上」意識と諦め 作成: 2005-11-19
更新: 2006-08-24


    ローカルな地に閉塞して育った組織には,衆議決定に対して,デモクラシーの手法(議論・採決)を組織分裂のもととして退け,衆議を<気兼ね・なれ合い>の力学で決定する傾向がある。
    北海道教育大学岩見沢校もこれに該当し,執行部はこの精神風土を利用して,自分の立てた方針を強行するのに「報告」という上意下達の手法を使ってきた。

    「報告」はすべて通る。<気兼ね・なれ合い>の力学場においては,大学人という<知性>にも何ら格段のものはないということだ。
    執行部は「およそ支持されている」という錯覚を抱き,教員個々も「多数は執行部を支持」という錯覚を抱く。

    そしてこのような閉塞状況をさらにいびつにする要素がある。 「反執行部」を自陣の組織化戦略として進めようとする<考え方>の存在だ。 これは,「反執行部」を「反権力」として立てる。
    「反権力」は捻れた「お上」意識であり,実際,執行部方針を受け入れることにいちばん敏だ。 それは,執行部方針を「機関決定」として端から受け入れ,政治的事態収拾 (落としどころ捜し) に進む。
    この捻れた考え方はどこから出ているかというと,(今日では骨董品的な) サヨク体質から出ている。

    この勢力が執行部に対立する形で議論を牛耳るようになると,執行部とこの勢力で「執行部方針先ずありき」にされてしまい,議論は執行部方針の内容には向かわない。つまらない手続き論が延々と展開されることになる。 この結果は,みながうんざりして,引いてしまうというもの。

    執行部を「権力」に見立て「反権力」のスタンスをとるのは,組織の中ではミスリーディングである。 これは,執行部を買いかぶっている点でも,誤っている。 実際,デモクラシーでは最もやってならない「言論を疎かにする」を,やっているわけだ。 ──つぎの方法をつぶしている:

      執行部を「合理的な考え方・行い方に欠陥のあるグループ」と見て,
      「合理的に考える・行う」を内容的に対置する。