Up | 「地域」 | 作成: 2006-01-29 更新: 2006-08-19 |
「広大」を言いはじめれば,どこでも広大である。先ず,「広大」の決定要素は面積よりも交通。それに,大学の場合は,南の端の者が北の端の大学を選ぶ(またその逆)に象徴されるように,学生が自宅から大学に通うわけではない。また,「広大な北海道の学校教育の一端を担うには5分校でなければならない」の説を立てるのも無理──むしろ,ヤブヘビになる。 したがって,「地域」だけが,5分校の名分として打ち出せるものになる。 そして,論理の上から,その名分の形はつぎのようでなければならない:
地域のこの必要に応じるため,5分校を続ける。 大学での業務は,個々に具体的なものだ。それが関わることになる「地域」は,抽象的・象徴的なものではない。では,大学の業務にとって,「地域」とは実体的に何なのか? これを曖昧にしていると,ことばが独り歩きして,大学の方向付け,そして大学資源 (その大部分は人力) の配分・配置を誤る。 大学にとっての「地域」は,つぎの文脈に現れる:
ここで,「学生」は実体的で,「助力/貢献」は象徴的。 北海道教育大学の「地域」は,つぎのようになる:
そして,北海道教育大学のX分校にとっての「地域」は,つぎのようになる:
(*)
このように分析した上で,「地域の大学」の第一義は「地域に学生田を定める大学」ということになる。特に,地域とは金のことである。
よって,北海道教育大学が「地域」を課題にする形は,第一に,つぎのものである:
ところが,北海道教育大学で「地域」が取り上げられる形は,専ら「地域に必要」「地域に貢献」の方。──「名分を立てる・大学評価に堪える」が「地域」を課題にする理由なので,このようになる。 実際,北海道教育大学「中期目標」には「地域」がつぎのように現れる: さて,「地域に必要」「地域に貢献」の形で「地域」が課題に立てられると,どうなるか? 地域密着をねらう仕事の開拓が始まり,それらが現場のキャパシティーを超えて,また,本業を損なうこととのトレードオフで,現場に降りてくる。 この仕事の実質性・実効性はどうか? 「地域」ということばを使うと関係の線がすごく太いものに感じるが,実際には,担当する人と人の間のひじょうに細い線である。 そして機関が相手の場合は,この細い線は担当者の交替 (← 配置換え) のときにひじょうな危機をむかえる。
特に機関の場合は,関係部署の担当者に過ぎない。 よって,「地域」プロジェクトは,余程十分な計算の上にあたらねばならない。形骸化するときのこともきっちり想定してかかる必要がある。形骸化したが打ち切りはお互い憚られるという感じで,双方が負担としてかかえながらだらだら続くということは,ありふれたことだ。 翻って,最も肝心なことは,「地域」プロジェクトをムードで立ち上げないこと。立ち上げる者が担当する者でない場合は,要注意。立ち上げるのは簡単だが,担当する者の負担は (たいした内容でないプロジェクトであっても,「地域」が相手ということで) ひじょうに大きい。 したがって特に,大学資源の配分・配置の計算に難のある者,「継続が力 (=力がなければ継続できない)」を知らない者に,「地域」プロジェクトの立ち上げに関わらせてはならない。 |