Up 「強化された学長のリーダシップ」の発想のお粗末 作成: 2006-01-07
更新: 2006-01-07


    評価委員会/文科省による大学評価は,
      法人化に伴い強化された学長のリーダシップの下,どのように<いいこと>が進められているか
    という視座に立つ。

    これは,法人化の第一義が「行財政改革の一環としてリストラを行う」であり,そして「リストラと生き残り」がつぎのように思い描かれたからである:

      「リストラと生き残り」策の行使では,教員が「これまで浸かっていたぬるま湯を出ようとしない抵抗勢力」になる。
      この「抵抗勢力」を退治する役割を,学長に充てる。
      学長がこの役割を果たせるよう,学長に強い権限を与える。

    評価委員会/文科省の描く絵
      学長は,抵抗勢力を挫きつつ,<いいこと>を貫徹する
    は,言うまでもなく,ひどくお粗末なものだ。

    お粗末さ加減を見る視点を挙げるのは,しごく簡単だ:

    1. 学長が有能な学長である必然性は何もない。
    2. 教員が保守的である必然性は何もない。
    3. <いいこと>は,しっかりした思念,研究によって,そして豊かな経験,見識の上に,はじめて見出されてくる。

    応用: 以下も「強化された学長のリーダシップの下」の一つになる:

    1. 無能な学長が
    2. 有能な教員を抑えて
    3. 「コース」「カリキュラム」「学生選抜」「地域連携」等々を浅薄にいじる


    もともと,大学教員は一般よりも体制保守的ではない。自立自存の気概も高い。時勢を見る眼も悪くはない。研究も,職業柄,得意だ。したがって,学長の「有能」の中心は,教員全体のシナジーを上手に起こす能力(多様な個の力をコーディネイトする能力) にある。
    逆に,最悪は,独善で事を進めたり,セクトを形成するタイプの人間が学長になること。