Up 「人件費抑制により財政の硬直化を排し」 作成: 2006-05-30
更新: 2006-05-30


    先ずは『北海道教育大学中期財政指針(案) ─入るを量りて出ずるを制す─』から引用:

      本学の主たる支出は、固定費とされる人件費が予算の約8割を占め、全国立大学法人の中でも最上位となる高い数値を示しており、硬直化した財政状況にある。 この状況は・財政構造上の課題として、分散キャンパスを理由に容認されうるものではなく、基本的に自主的努力によって解決・改善されるべきものである。

      中期目標・中期計画の実行や社会の二一ズに基づく新たな取組み、教育環境の整備及び老朽施設の改修等を実施していくためには、恒常的な財源確保が必要となるが、その全てを概算要求等による予算獲得で対応するのは困難であり、既存事業と組織の抜本的な見直し・効率化、経費の節減等といった自己努力により財源を捻出しなければならない。

      国の「総人件費改革」の方針の下に変更した中期計画では、常勤教職員及び常勤役員の人件費について、平成17年度の人件費予算相当額をベースとして、平成21年度までに概ね4%削減することを定めているが、その影響額は2億7千万円となり、16-17年度人件費実績額から、一定の減額をしなければならない厳しい状況となる。 また、「総人件費改革」に基づく1%以上の運営費交付金の減額の恐れも今後あり得ると見ておく必要がある。

      以上の限界のある収入見通しと新たな資源投入の必要性を踏まえ、本学の使命として、教育研究を継続的に発展させていくためには、主として人件費の高比率が要因となる財政の硬直化を改め、歳出構造を根本的に転換するとともに、教職員の人件費及び物件費について、聖域なく経費を抑制していくことが不可欠である。 ‥‥また、人件費の見直しにおいては、本学の昇格・昇給・各種手当の給与制度等の検討が必要である。

      当面の財政構造の転換の基本は、人件費抑制により財政の硬直化を排し、可能な限り政策的な物件費の比重を高めることであるが、前述のように教育環境整備や就職支援などの新たな必要に基づく資源投入や老朽施設の改修整備など独自の財源確保による歳出の大きな要請があり、物件費の在り方としても、現状の歳出の構造転換と経費の抑制が不可欠である。 そのためには、これまでの総花的な予算配分を排し、限られた資源について、徹底的な選択と集中を進めるべく、次のような方策の実行を検討する必要がある。


    これが『指針(案)』の基調である。本学の事業的特性から収入構造は固定化していて事実上改変の手立てがないので,支出構造の改変が主張されているわけだ。 そして,支出構造の改変を,「戦略的投資のための人件費抑制」と定める。
    戦略的投資の内容は,(1) 箱物,(2)「大学評価」対策 (「中期目標」に書いたことの充足),そして (3) 広報。
    この基本構図を先ず押さえておこう。


    戦略的投資であれ人件費抑制であれ,それの提案は合理的な理由付けを要する。 それは,つぎの形に述べることだ:

        戦略的投資/人件費抑制により,いまががこのようになる。
        ──これはいいことだ (「改革/改善」だ)。

    これはアタリマエのことだが,『指針(案)』にはこれが無い。
    『指針(案)』が述べているのは,
      われわれの重力場はこのようになっている。
      したがってわれわれは自ずとにこのように動くことになる (余儀なくされる)。
    である。

    これに対するわたしたちのリアクションは,執行部の体質/哲学を見て取り,その体質/哲学の相対性を示すことだ。 なぜなら,執行部は自分の体質/哲学をこれの他にはないものと信じているからだ。

    例えば自由主義/プラグマティズムの哲学は,重力論 (「流れに棹さす」) に対して別様の視点・立場をとる。 すなわち,多様な個の存在と運動が,その都度新たな重力場を流動的に形成すると考える。 理念・意志・合理精神が重力場を変えるという思いがあって,重力場を固定化する言説には与しない。


    人件費抑制を「解決・改善」の文脈で考えるのが執行部だが,人件費抑制は,「戦略的投資との相殺」の意義の以前に,「人材の低劣化および本業の低劣化」の含意がある。

    教員養成系大学北海道教育大学は,地道な (=正道を歩む) 教育で立つ。人材が一等のインフラだ。テーマパークを運営するような戦略的投資── (1) 箱物,(2) 外部評価対策,(3) 広報──が効を奏するような組織体ではない。

    鳴り物的運営は,すぐにその愚かさに気づかれる。保って数年だ。
    数年経って熱が冷め,周りの中の自分が見え出すとき,どの一つもまともな「教員養成系大学」の態を成していない北海道教育大学が見えてくる。自分の本業/本務を自ら壊してきた愚に気づく。