Up 企業─組合─パルタイ 作成: 2006-01-05
更新: 2006-01-06


    企業-組合の関係は,一昔前は,企業-組合-パルタイの関係であることが多かった。 図に表すと,つぎのようなぐあいである:


    ここでは,<企業-組合>から<企業-組合-パルタイ>を区別して,後者の形を一般的/図式的に押さえておく。


    パルタイは,自組織オーガナイズのターゲットに,ある企業を定める。
    これを,「自組織オーガナイザーが執行部をとる組合を,その企業の中に組織する」という形で行う。

    企業経営者にとってこの構図は,「パルタイによる企業乗っ取り」になる。
    なぜなら,企業経営者にとってパルタイはことば/世界を共有できない存在なので,「パルタイに侵入される」は,「企業文化 (=企業そのもの) を変えられる」を含意する。そして,一旦侵入されてからのパルタイ排除も,法的に権利保証された組合を相手にすることになるので,極めて困難になる。
    よって,企業経営者は,組合-パルタイが企業に入ってくることに極力警戒する。

    組合-パルタイが,企業経営者にとってことば/世界を共有できない存在であり,そして企業文化 (=企業そのもの) を壊すのは,それの二元的世界観(「加虐者-対-被虐者」「搾取する側-対-搾取される側」「富者-対-貧者」「強者-対-弱者」「善-対-悪」等)による。

    そして,「企業文化 (=企業そのもの) を壊す」直接のものは,<組合の許しを得て行う>形の経営。
    この経営手法により,企業の中のプライオリティがぐちゃぐちゃになる。

      例: 「道教委が教員の勤務評定計画を作っていないことが判明」(読売新聞, 2005-10-19)
      ‥‥ 勤務評定は、地方公務員法で義務づけられ、地方教育行政法で、都道府県教委の計画のもと、各市町村教委が行うと規定しており、1950年代から全国で導入が始まった。‥‥ 勤務評定を巡っては、‥‥ 形骸化している例が指摘されていたが、今回のように計画自体が存在しないのは、「聞いたことがない」(文科省)という。計画がなかったことについて、道教委教職員課は「当時の状況はよく分からないが、教員団体など多方面から反対の声があり、見送ったのではないか」としている。‥‥

       確認 : 「教員間に差をつくらない」は,「学校」という企業の文化の要素ではない。しかし,<組合の許しを得て行う>に高いプライオリティをおいてきたため,上のようなていたらくになる。

    パルタイの企業侵入を防ぐための企業経営者の対策は,先ず,自らが健全であること。これが弱みをつくらないということ。併せて,組合を必要としないシステムをつくるか,あるいは経営者主導で協力的な組合(註)をつくってしまうということになる。
    ここで,「経営者主導で協力的な組合をつくってしまう」は,「経営陣の言うことを聞く組合をつくる」ということではない。組合をおく場合は,「経営陣への反対勢力を組合に回収させる」という形で組合を機能させる──これが定石。
    ちなみに,個の多様性に基づく組織のダイナミズム,知のシナジーが企業の命であるから,「経営者主導 (=狭隘な主観の主導)」の発動はつねに慎重を要する。

      註: 組合は,パルタイの世界観 (「加虐者-対-被虐者」「搾取する側-対-搾取される側」‥‥) に拠って立つ必要はない。

    組合-パルタイを無用/無効にする「健全」の内容には,企業業績,報酬規準・理由の明文化,組織員厚生の充実といったことの他に,基盤的/根底的な要件としてつぎのものもある:

    • 目的・理念の共有
    • 情報の共有 (遅滞のない情報交通)
    • 互いに忌憚なく批判し合える組織風土
    • 個の多様性の解発 (release) と活性化
    • 情報開示,コンプライアンス (外に開く)


    ちなみに,「言論の府」としての「大学」は,「パルタイはもちろん組合も無用/無効となる組織作り」の課題を達成しやすい企業。この課題達成にもたついている大学は,単純に,「言論の府」としての責務を果たしていないということだ。