Up 『報告』批判は,国立大学批判 作成: 2008-06-03
更新: 2008-06-03


    『報告』は,内容のめちゃくちゃなものである。
    めちゃくちゃは,「改革」バブルの舞い上がった精神構造に因る。 めちゃくちゃの根底にあるのは,邪気ではなく無邪気である。

    現時点では,このような『報告』を悪者にする論はダメである。
    すなわち,国立の教員養成系大学・学部を課程再編を迷走 (教育破壊) させている元凶のように扱う論は,ダメである。

      ちなみに,悪者をつくるところから,思考停止が始まる。
      また,思考停止するために,悪者がつくられる。

    笛を吹く者とこれにのって踊る者のどちらが悪い?
    国立大学の「法人化」の場合は,笛を吹く行政よりもこれにのって踊る国立大学の方が,圧倒的に悪い。
    なぜ?
    国立大学は,安っぽい笛の音に踊らない見識をもっている場ということになっている。 この見識を失っている体を示している国立大学は,国立大学失格である。

    現時点では,『報告』批判は,国立大学批判に他ならない。
    したがって,文体においても構成においても,「国立大学批判」であることがはっきりとわかるようにしなければならない。