Up 「法人化」ムーブメントの総括 作成: 2010-06-29
更新: 2010-06-29


    無駄遣いシステムの回収は,政治の次元にある。 しかし政治も人であり,そしてひとは,一つの極に振り切れた振り子は対極に振るというふうに,過去の失敗の繰り返しに進んでしまう。
    「ひもつき補助金から一般交付金への転換」からしばらく経つと,「がんばっている者と怠けている者が同等に扱われてはならない」になり,「一般交付金からひもつき補助金への転換」になる。


    この振り子運動に甘んじたくないなら,「法人化」ムーブメントをきちんと総括しておくことが必要である。
    「法人化」の発想の軽薄が,明らかにされねばならない。


    「国立大学の法人化」とは,国立大学に利潤追及型企業の道を進ませることである。
    国立大学は,つぎの二つを同時に行わねばならないものになった:

    1. 利潤追及型事業を運営し,自活できるだけの収入を得る。
    2. 大学教育を保持する。

    しかし国立大学は,利潤追及型事業として民間に展開するようなものは,つくれない。 公共工事で養われる土建会社のようになるのみである。 そして実際,この道を進むことになった。 すなわち,「プロジェクトを概算要求して経費を得る」が,このときの「公共工事で発注を受け,収入を得る」の形である。

    翻って,行政は,国立大学への交付金を削減しつつ国立大学に公共事業をつくるという役割になる。 これは,要らない公共事業をつくるということであり,税金の無駄遣いをするということである。
    そして国立大学の方は,税金の無駄遣いといっしょに,人力の無駄遣いをする。


    「法人化」の発想は,<思いつき>のレベルのものである。
    国立大学が利潤追及型事業を運営し自活できるだけの収入を得ることを夢想し,しかし「利潤追及型事業」については思考停止する。
    ファイナンス (大学基金),大学発ベンチャー,サテライト,出前授業,大学売店での特産品販売,‥‥ のように,実効性や金額の「桁数」の感覚をまったく欠いたものをいくつか挙げ,そして「以下点々」としたのである。
    翻って,「法人化」の先が「無駄遣い」であるということは,アタマに浮かばなかった。