Up 教育・研究の見識を疑われる者になる 作成: 2010-06-28
更新: 2010-06-28


    国立大学法人の執行部は,大学の収入をつくるために,税金の無駄遣いと人力の無駄遣いの企画をつくり続け,組織の中ではこの無駄遣いのトップダウンをし続ける者になる。
    こうして,執行部は,「税金の無駄遣いと人力の無駄遣いをする」者のことになる。
    そして,大学という場においては,「税金の無駄遣いと人力の無駄遣いをする」は「教育・研究に対する見識がない」になってしまう。

    大学の教育・研究に背反する行動も,直ちに「教育・研究に対する見識がない」になるわけではない。 <役割の斟酌>ということがあるからである。
    <役割の斟酌>をもって理解・受容されるか,「教育・研究に対する見識がない」にまで行ってしまうかは,背反行動の程度に依るということになる。

    国立大学法人の執行部の不幸は,税金の無駄遣いと人力の無駄遣いを大学の理念の実現行為であると言い続けねばならないことである。 実際,執行部が自ら行う執行を無駄遣いと言うことは,背理である。
    そして,<役割の斟酌>は,無駄遣いが大学の理念の実現行為になる次元にまではついていけない。

    教育・研究に対する見識を疑われる者になるのは,国立大学法人の執行部の宿命である。 執行部であるとは,この宿命を引き受ける者として執行部に入っているということである。