Up 進化論を欠落 作成: 2022-07-22
更新: 2022-07-22


    生物とは何か・なぜこのようであるかを知ろうとして,現前の生物を<解析>する。
    この方法は,ダメである。

    現前の生物は,いまに至る歴史──少なくとも地球史──を背負っている。
    現前の生物を捉える絵図は,「巨大な木の枝の末端」である。
    巨大な木が,歴史である。

    「歴史──巨大な木」の意味は,「惰性」である。
    「歴史を背負っている──巨大な木の枝の末端」の意味は,「惰性に押される」である。
    現前の生物は,惰性に押されている。

    <解析>は,「上にあるものは下に落ちる」を理とするレベルの方法論である。
    これは,惰性の「下にあるものを上に押し上げる」を捉え損なう。


    気象は,生物と同じである。
    現前の気象は,いまに至る歴史──少なくとも地球史──を背負っている。
    現前の気象を捉える絵図は,「巨大な木の枝の末端」である。
    「歴史──巨大な木」の意味は,「惰性」である。
    現前の気象は,惰性に押されている。

    気象学の大気力学は,<解析>が方法論になっている。
    気象学の大気力学は,「上にあるものは下に落ちる」を理とするレベルの学──端的に,ニュートン力学──である。
    それは,「風は高気圧から低気圧へと流れる」と教える。
    これは間違いである。

    気象は自己生成する系であり,風と気圧は互いを導き合う。
    しかし,「風は高気圧から低気圧へと流れる」は,間違いである。
    これに対し,「風は高気圧・低気圧を生む」は正しい。
    圧倒的に存在するものは惰性であり,風はこの惰性だからである。


    大気現象は,<解析>の視点からは,不合理なものになる。
    しかし気象学は,<解析>を絶対の方法にしている。
    この気象学は,<解析>に合うように大気現象を解釈するものになる。
    「ボイル・シャルルの法則」の類から理論を起こすみたいになるわけである。

    気象学は,気象進化論を方法論にして,気象の惰性がわかるようになっていかねばならない。
    しかしここが悩ましいところだが,気象学は気象進化論を方法論にしたからといって何かを新しく起こせるわけではない。
    生物学には,「歴史──巨大な木」を窺わせてくれる生物化石がある。
    しかし気象は,生物化石に匹敵するような(しるし)を残さない。
    実際はいろいろ残しているのかも知れぬが,それを現前の惰性と結びつけられる者はいない。 ──風は,人間の知を嗤う。
    というわけで,気象学大気力学の<解析>にすがっている(てい)も,詮無しといったところがある。