気象学は,ボトムアップの理論構築は無理である。
しかし気象学は,ボトムアップをやろうとする。
いろんな物理学をかき集めて気象学を構築する,ということをやる。
しかしこのやり方は,「よくわかっていない内容を軽率に当て嵌める」になっていく。
そして「よくわかっていない内容を軽率に当て嵌める」は,「嘘をつく」をやってしまうということである。
気象学は,この類の嘘がひじょうに目立つ。
例えば,「コリオリの力」。
気象学の教科書には,必ず「コリオリの力」が登場する。
一部の高校地学教科書にも,これが載せられている:
実教出版『地学基礎』(高校教科書), p.80
物理学の謂う「コリオリの力」は,どんなものか。
飛行体に速度計とジャイロスコープを置くと,その計測値から軌道が計算できる。
一刻一刻の加速度 (位置変化) が,計測値に表現されるためである。
時間tが経過したときの速度 \( v \) と加速度 \( a \) がつぎのようであったとしよう:
\( a \) を,\( v \) 方向の成分 \( a_1 \) と \( v \) に垂直な方向の成分 \( a_2 \) の合成として見る:
加速度に質量を乗じると,力である。
加速度 \( a = ( a_1,\ a_2 ) \) に飛行体の質量を乗じると,飛行体に働く力 \( f = ( f_1,\ f2 ) \):
\( f_2 \) は,転向力ということになる。
この転向力を,改めて「コリオリの力」と呼ぶ。
「コリオリの力」は,現実的な力である。
ところがここに,「コリオリ力」のことばを「見かけの力」として使う者が現れる:
「 |
飛行体が惰性で飛行している。
この飛行体を観察している者がいる。
この観察者には,飛行体が曲がって飛行しているように見える。
それは,観察者の立つところが,飛行体が曲がって飛行しているように見えるような動きをしているためである。
観察者はこのことを知らず,飛行体の曲がって見える飛行を「飛行体に力が働いている」と解釈する。
この観察者が解釈した力の転向力成分を, 「コリオリの力」と呼ぶ。
見ての通り「コリオリの力」は現実の力ではなく,見かけの力である。」
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気象学は,「コリオリの力」を生半可に,大気の動き (風) に当て嵌める。
それはどうなったか?
こうなった:
《現実の力の転向力と見かけの力の転向力をごっちゃにする》
即ち,気象学はつぎの論法を創作する:
「惰性で流れる風に,見かけの力である転向力が現実に働き,風は曲げられる」
気象学はつぎのように説く:
「 |
風は,進行方向に対し直角方向──北半球だったら右側,南半球だったら左側──の力 (コリオリの力) を呼び込む。
そしてこの力の方向に曲げられる。」
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こんなことは,起こらない。
嘘である。
しかし気象学では,「風は進行方向に対し直角方向の力を受ける──この力の方向に曲げられる」が教条になっている。
気象学に籍をおいている者たちは,この教条を触れ回る。
つぎのように:
2022-10-09 読売新聞「くらし」面
上昇気流・下降気流は,渦を形成する。
上昇気流・下降気流が渦を形成するのは,これが風の流れの<平衡>の形になるからである。
この<平衡>のダイナミクスは,複雑である。
「進行方向に対し右/左に曲がる」で実現されるものではない。
実際,「風は進行方向に対し直角方向の力を受け,この力の方向に曲げられる」を触れ回る者は,渦をこれで作図しようとすると大いに悩むことになる:
「右方向に曲げられる」で台風を作図をすると,時計回りになってしまう:
反時計回りの作図は,つぎの無理矢理な作図になる:
翻って,無邪気に「風は進行方向に対し直角方向の力を受け,この力の方向に曲げられる」を触れ回っている者は,作図を試したことがないということである。
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