Up データ改竄──「温暖化」に仕立てる 作成: 2021-12-12
更新: 2021-12-13


    気温変動予想は,「ここしばらくの傾向がこれからも続けば」モデルをつくり,これの計算で出す。
    よって,ここしばらく気温上昇傾向だったら予測も「気温上昇」であり,気温下降傾向だったら予測も「気温下降」である。

    ひとは「地球温暖化!」と騒いでいる。
    最初は,つぎの Mann のグラフに騒いだ:
    その後このグラフのインチキが明るみに出て,いまはつぎのようなグラフになっている (ただしスケールを変えているだけで,RCP8.5 の勾配は Mann に同じ):
気象庁 (2021), p.11
    予測は2005年から始まっているので,直近の「10年に0.2度くらい上昇」に重みをつけて延長していることになる。
    随分と微妙な数値をいじっているわけだ。

    で,こう思う:
      「平均気温って,そんなに精密なものなのか?」
    そして以下が,この疑問に対する答えである:


      伊藤公紀 (2007), pp.127,128
     [ゴアが採録した] マンらが用いた過去気温データは、樹木の年輪幅の変化などから推測した代替データなので、不正確であっても仕方がないとも言える。
    では、温度計で測られる気温は大丈夫なのか。
    10年で 0.1℃ といった気温変化はどのくらい正確に測れるのだろうか。
    実は、これは密かな大問題なのだ。
     東北大学名誉教授の近藤純正博士は、気象観測点の環境が劣化して気温測定に誤差が生じることに警鐘を鳴らしている。 近藤博士が日本各地で行っている調査 (博士のHPに詳しい) によれば、理想に近い観測所は3ヶ所しかない (北海道の寿都、三陸の宮古、四国の室戸岬)。
     測定される気温に最も影響があるのは風だという。 たとえば、気温測定器のそばに農業用のビニールハウスなどができると、気温測定器が置かれた場所での風が弱くなり、気温が高めに測定される。 この現象を近藤博士は「陽だまり効果」と呼んでいる。 この効果のせいで、気象庁が採用している基準17観測所の気温データには、100年で約 0.5℃ (!) という偽の温暖化傾向が生じている。
    ちなみに、米国NASAが収録して世界的に公開している日本の気温データは、これらの基準観測所のデータである。
     都市化 (特にヒートアイランド) が気温測定におよぼす影響は良く知られており、その補正も行われている。 また、都市化の影響がないと思われる「田舎」の観測点が基準として選ばれる。 しかし、近藤博士が指摘する現象は、「田舎」を含めてほぼすべての基準観測点に見られる。 また、これは観測点の履歴にも記録されないような変化であるため、対応が極めて遅れている。
     アメリカでも、このような調査が数年前から行われているが、「田舎」とされる観測点でも、観測条件が劣化していることが多い。 例えば自動化された気温測定装置のすぐ横に建物があるような場合もしばしばで、風の弱化による偽の温暖化傾向があることは十分に推測できる。 また、百葉箱などに塗られる白い塗料にも問題があるという。 かつては、赤外線を良く反射する無機系塗料が使われていたが、現在では耐候性の高い有機系の塗料が用いられている。 しかし、有機系の塗料は赤外線を良く吸収するため、気温が高めに出る。
     このように、近年測定される気温が高めに出る傾向が増していることはどうやら確からしい


      Mosher & Fuller (2010), p.36
    クライメートゲート事件を織り上げた糸の一本は、ジョーンズが地球の平均気温推移グラフをつくるのに使った気温デー夕だ。
    データは日々、地上の観測点で収集される。
    地元カリフォルニア州の観測点をあちこち訪れたワッツは、眼前の光景に仰天する。 都市化の影響はないとされる観測点が、気候以外の要因で温度計の読みが左右される場所だった。 建物や樹木から遠いとされる観測点が、駐車場やゴミ焼却ドラム缶のそばや、アスファルト敷きの屋上、木陰にあったりする。
    これで明らか。
    気候学者が使ってきた地上気温は、気候変動の指標にはならない。
    人間活動が「温度計の環境」を変えているだけ。

    ジョーンズが「都市化の影響はごくわずか」とみた気温データも、都市化がずいぶん狂わせていた。
    気候科学者たちは、観測点がきちんと管理され、人間活動の影響がない場所にあるという能天気な前提で気温推移を議論する。
    だがワッツは実地調査でその前提をくつがえす。
    現在、全米1221か所ある観測点のうち、1000か所以上の証拠写真を撮り終えている。