Up 無駄遣い論は,ダメ 作成: 2021-12-09
更新: 2021-12-09


      渡辺正 (2012), pp.i-iii.
     国と自治体が使ってきた17兆円は、私たちの納めた税金です。 四人家族のお宅なら、50万円ほど献上したことになります。
     政府の方針には、企業や大学も従わざるをえません。 C02排出量を見積もり、削減法を考えて実行するには、人件費を含め、かなりのお金を使います。 こまかい集計データはないものの、ざっと年に数千億円、七年間なら数兆円でしょう (話に便乗した風力・太陽光発電、「エコ製品」への投資はずっと多いはずですが、それは除いて考えます)。
     以上を合わせ、七年間でほぼ20兆円が、「C02排出を減らすため」に使われました。
     環境省の文書を私なりに解読すると、20兆円のうち3〜4兆円くらいは、C02削減用の研究や技術開発をする人々が受けとりました。 いまも省庁は競うように研究を公募します。 ときどき事務から届く公募案内メールを見るかぎり、一件につき数百万円から10億円レベルの豪勢な研究費を配ってきました。  ‥‥‥
     その20兆円は、C02排出を減らし、本来の目的 (地球の冷却) に役立ったのでしょうか?
     答えはノーです。

    いまは「100兆円 ← 血税」と額が上っているが,この論法は間違いである。


    イデオロギー/デマゴギーには,利権が付いている。
    「アイヌ民族」デマゴギーにはアイヌ利権があり,「パンデミック」デマゴギーには薬事・医事利権があり,そして「地球温暖化」にも様々な利権が形成されている。
    ひとは「利権」を悪い意味に思っているが,経済は利権が駆動している。
    商品経済は,商品の本質が幻想であるので,《絶えず幻想を創り膨らます装置が無ければ,忽ち萎んでしまう》というものなのである。
    商品経済が人の現実だということは,幻想装置を絶えず更新しているということである。

    幻想は,インチキである。
    しかし経済は,インチキによって回るのである。
    よって,デマゴギーを批判するのに財政のインチキをあげつらうのは,方法として違う。


    そしてこの間違いは,「血税」のことばを使ってひとの感情に訴えるという間違いに進んでしまう。

    「血税」論は,何が間違いか?
    政府の支出は,税金収入の支出ではないからである。
    これは,支出が税収をはるかに上回る額であるという事実が,端的に示している。
    そして,「金に色はついていない」。

    四人家族のお宅なら、50万円ほど献上したことになります。
    正しくは,「四人家族のお宅なら、50万円ほど国から配分されたことになります」である。

    「地球温暖化対策」支出の金は,元手が無い。
    金は──「国債」というトリックで──造られるのである。
    「100兆円の支出」は「市中に流通する金を,数字の上で100兆円増やす」である。


    一件につき数百万円から10億円レベルの豪勢な研究費を配ってきました。
    この金は,研究機関を得意先にしている企業に流れる。
    また,「調査旅費」が宴会・観光旅行であっても,それは運輸ビジネスや宿泊ビジネスに金を回すことである。
    そして自腹で支出する分の金は,当地に回る金である。

    金は,いい目を見ることができるものではあるが,いい目を見ることを強いられるものである。
    金は,回すしかないものなのである。
    そして,金は数字だけのものであるから,リスク分散しないと危ない。
    金持ちは宝石や高額なアート作品に手を出すが,それは「成金趣味」で説明されることではない。


    イデオロギー/デマゴギー批判は,動物行動学・生態学をするようなものである。
    批判対象に寄り添って,それがなぜそうなのかを丁寧に明らかにするのである。
    金の話にしてひとのやっかみ感情に訴えるというのは,墓穴を掘る方法である。
    慎重であるべし。


    引用文献
    • 渡辺正 (2012) :『「地球温暖化」神話──終わりの始まり』, 丸善出版, 2012.