Up 偏西風の独自存在理論を背負い込む 作成: 2023-01-28
更新: 2023-01-28


    偏西風は,鉛直対流渦束の縁である。
    「物の縁は独自に存在するものではない」と言えば「あたりまえ」の声が返るように,偏西風は独自に存在するものではない。
    しかし,気象学は偏西風を独自存在にした。
    「流れる空気のチューブ」というふうに。

    偏西風を独自存在として立てる気象学は,「この存在はどうして可能か?」の問いを立て,これの答えをつくることが課題になる。
    実際,気象学はこれまで,使えそうな概念をあちこちから引いて,「空気のチューブ」の独自存在理論を捻り出してきた。


    しかし,偏西風は独自に存在するものではない。
    それは,対流渦束の縁である。
    天気図を見れば,一目瞭然である。
    「空気のチューブ」など,天気図のどこをさがしても見つからない。

    独自存在ではないものが,気象学ではなぜ独自存在になってしまうのか?

    「空気のチューブ」は,「一目瞭然」のテクノロジーが存在していない時代の想像の産物だということである。
    気象現象を捉える技術の貧困な時代には,気象理論は想像でつくることになる。
    「空気のチューブ」論は,この類である。

    しかし,「空気のチューブ」は,これの無いことが一目瞭然になったこの時代にも,揺るぎないパラダイムであり続ける。
    なぜ?
    つぎの2つが理由になる:
    1. 想像をいじっていると,それはリアルになる。
      プラトニズムの意味のリアリズムというやつである。
    2. このパラダイムで仕事を立ててきた者は,いまは権威 (教える側・教えられる側のうち教える側の方) になっている。
      彼らは引っ込みのつかなさから,パラダイムを固守する。


    偏西風を独自存在にする気象学の方法は,「地衡風」である。
    「地衡風」の謂は,「平衡を実現している風」。

    偏西風を独自存在にする気象学は,偏西風が気圧の斜面の途中に止まった状態で保たれていることを問題にする。
    この「平衡」を説明すれば偏西風を説明できたことになると思う。

    前節では気象学が「角運動量保存」「コリオリ力」を誤用することを論じたが,気象学はこれらを「平衡」を説明する要素概念にしているわけである。